波乱の大阪を制したのは大阪偕星学園だった。春夏4度の全国優勝を誇る大体大浪商との決戦で、1-1の6回、主将で4番の田端拓海捕手(3年)が執念の決勝スクイズ。古豪を振り切った。大阪桐蔭、PL学園などが夏の舞台を去る中、雑草軍団が49代表の大トリで初の甲子園切符を手にした。

 絶体絶命の危機を脱した先に歓喜があった。「やったぞ! 甲子園だ!」。マウンド上の光田悠哉投手(3年)に向かって、ナインの誰もが叫びながら駆け寄ってきた。「苦労して苦労してここまで来ました」。ベンチの山本皙(せき)監督(47)も、両手で顔を覆い男泣きした。

 2点リードの9回裏、3連打で無死満塁。1点差まで迫られた。だが左腕は気持ちを奮い立たせた。「エースとして、信頼してくれた監督に、何とか恩返ししたい。自分の球を信じるしかない」。なお2死一、二塁。最後は満身の直球で三塁ゴロに打ち取った。

 決勝点は主将の田端拓海捕手(3年)の“ミラクル打”だった。6回1死三塁で一塁線に執念のスリーバントスクイズ。転がったときはファウルゾーンだったが「入れ、入れ」と念じると、スピンがかかった打球はフェアゾーンに戻ってきた。

 兄良基さんは大阪桐蔭で藤浪(阪神)と同期の甲子園春夏連覇メンバー。田端も兄と同じ道を希望したが、かなわなかった。知人の紹介で大阪偕星学園へ。山本監督とは「雑草でも一緒に桐蔭を倒そう」と約束し合った。「監督が、泣いているのを見たのは初めて」と田端。入学時の誓いを果たし、初の聖地へ乗り込む。【坂祐三】

 ◆大阪偕星学園 1929年(昭4)に此花商として創立の私立校。13年から現校名。生徒数は1047人(女子232人)。野球部は31年創部で部員数は74人。甲子園出場は春夏通じて初。OBは元広島金城基泰ら。所在地は大阪市生野区勝山南2の6の38。梶本秀二校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦10-1岸和田

3回戦8-3大商大堺

4回戦8-1寝屋川

5回戦8-1東海大仰星

準々決勝3-2大阪桐蔭

準決勝11-0大冠

決勝4-3大体大浪商