<高校野球北神奈川大会:川和8-5霧が丘>◇16日◇2回戦

 川和(北神奈川)が霧が丘を8-5で破り、3回戦に進出した。15日、直腸がんのため亡くなった横浜打撃投手の石田文樹さん(享年41)の長男翔太投手(2年)が先発。悲しみをこらえながら5回途中まで3安打4点に抑え、父に「白星」を贈った。

 亡き父にささげる力投だった。背番号「20」の石田がマウンドに上がった。7回を無失点と好投した初戦(橋本)とは異なり、4回まで毎回走者を出す苦しい投球内容。「マウンドでは(父の死を)忘れようと思った。私情を持ち込みたくなかったから」と強い意志で投げ抜いた。5回、先頭打者に安打を許し降板したが、4回0/3を3安打4失点。気持ちがこもった70球で試合の流れを作った。

 志願の先発だった。この日、岩本晃典監督(20)から「投げられるか」と聞かれ、「いけます」と即答した。「顔をみても普段と変わらなかった」(同監督)とマウンドに送り出された。171センチ、61キロ。177センチの父より小柄だが、自己最速は135キロ。体全体を使うフォームは父をほうふつさせる。女房役の山田一輝(3年)も「気持ちが入っていました」と右腕の粘投に目を見張った。

 ナインから後押しされた。6-3とリードを広げた4回、茂垣太志主将(3年)が2ランを放ち、突き放した。「頼れるエースと思っています。チームのため、石田のために打ちたかった」。病状を知っていたのはごく一部の学校関係者など数人。部員には誰ひとり知らされていなかった。この日、初めて訃報(ふほう)を知ったナインは「知らないことにしよう」(茂垣主将)と全員、普段通り接した。その打線は9安打8得点と結果で後押しした。

 小2の時に野球を始めた。「自分が(野球の)質問をしないと、教えてくれませんでした」という。だが、病床の石田さんは今大会をどれだけ楽しみにしていたことか。親しい球団関係者が6月に見舞った際、ベッドで日程表を見ながら「4回戦までいけるかもしれない。自分の息子が投げるのは見ていられないんだよね。でも良くなったら、やっぱり試合を見に行きたい」とうれしそうに話していたという。願いかなわず、石田さんは息を引き取った。15日、石田は病院のベットで父をみとった。「ありがとう」。ほとんど意識のない父に感謝の気持ちを込めて、最後の言葉をかけていた。

 昨夏、過去最高となるベスト8進出を果たした。「次の試合も絶対投げたい。ベスト8を超える結果を残したい」と、最後まで気丈に話した。涙はなかった。再三のピンチでも「自分の力でなんとかしたかった」と踏ん張った。石田の元に、この試合の使用球が贈られた。【横山元保】