北北海道 優勝記事
旭川大高・北最多7度目V/北北海道大会
- 優勝を決めた旭川大高は笑顔でスタンドに向かって駆け出す
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旭川大高Vへの足跡 旭川地区2回戦 5-1 富良野 地区代表決定戦 6-0 旭川明成 1回戦 1-0 帯広工 準々決勝 2-1 旭川工 準決勝 11-4 武修館 決勝 5-1 帯広大谷
<北北海道大会:旭川大高5−1帯広大谷>◇7月25日◇決勝
決めた! 北大会最多7度目だ。旭川大高が5-1で帯広大谷に快勝し、6年ぶり7度目の夏甲子園出場権を手にした。左腕エース柿田竜吾(3年)が6安打1失点。旭川地区予選から7試合連続の2ケタ奪三振はならなかったが、全試合計60イニングを1人で投げ切り、チームを全国舞台に導いた。甲子園では93年以来の勝利を目指す。
最後は決めていた。三振を奪ったエース柿田は、センター方向に体をくるり。両手を突き上げた。旭川大高ナインの歓喜の輪があっという間に広がった。「最後は絶対空振り三振を取ってやると思った。そうやって終わるのが理想の形」。180センチ、70キロの体を目いっぱいに使った今夏の847球目。道内ラストは直球で締めくくった。
旭川地区予選から7試合目。小気味のいいクイック投法の中に、疲れも見え隠れした。それでも武器のスライダーを駆使し完封ペースで、三振は9個。7試合連続2ケタ奪三振にあと1個だったが、1失点でまとめた。1回の右翼藤森の好捕など守備にも救われた。「疲れ? ちょっとあったかも、体は正直」と振り返ったが、60イニングを投げきった。
相棒の奥野捕手は「初めてあんなに疲れているのを見たけど、タテのスライダーより、今日は内角の直球が良かった」と先輩左腕をたたえた。時折「柿の種」「カキピー」の愛称で呼ばれる柿田は「スライダーでカウントを取った後に同じ球をショートバウンドさせたり、振らせる配球で」と、好投の“種明かし”をした。
「夏は1人で行くからな」。今春の旭川地区予選で敗退した日、端場雅治監督(40)からこの夏の使命がエースに託された。「自分が望んだ通りだし、やってやるしかないと思った」。端場監督は「柿田が投げてなんぼのチーム。今日は苦しそうだったけど、抑えるのはすごいですね」。計88Kで指揮官の大きな信頼にこたえた。
日高町富川から野球留学した。父克己さん(53)はホッカイドウ競馬の厩務員で、幼少時は牧場に住んでいた。母由美さん(49)は「馬に乗ったり、カイバの手伝いなどで他の子よりは体力があるのかも」と頼もしそうに見つめた。現在は門別競馬場内の厩舎が実家で、帰省時にはコースでランニングし、鍛えることもあった。
大黒柱の左腕は、チーム内では「ものまね王」にも君臨。霜津主将の打撃フォームなど仲間の動きや行動をまねし、チーム内を和ませる。グラウンドの内外で左腕が中心に座り、次に目指すは甲子園での勝利だ。「スライダーは打ち取ることもできるし三振も狙えるので、もっと磨きをかけて甲子園に行きたい」。左腕はすがすがしい表情で前を向いていた。【村上秀明】
[2009年7月26日 紙面から]
◆旭川大高 1898年(明31)、旭川裁縫専門学校として創立の私立校。1970年(昭45)、北日本学院大高校から現校名に改称。普通、体育、ライセンス、特進の4コースがあり、生徒数533人(うち女子263人)。野球部は1964年(昭39)創部、部員は34人。甲子園は春の出場はなく、夏7度目の出場。主なOBには元近鉄・鈴木貴久氏(故人)、陸上の高平慎士らがいる。北海道旭川市永山7条16丁目。福田良明学校長。
北北海道大会
優勝 | 参加校 | 組み合わせ表 | 春季大会優勝校 | 昨夏代表校 |
---|---|---|---|---|
旭川大高 (6年ぶり7度目) |
121校 (前年比+1) |
道大会[PDF] 地区大会[PDF] |
立命館慶祥 | 駒大岩見沢 |
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