【アナハイム(米カリフォルニア州)9日(日本時間10日)=四竈衛、斎藤庸裕通信員】エンゼルスに移籍する大谷翔平投手(23)が、本拠地エンゼルスタジアムで入団会見に臨んだ。競技発祥国でも異例の二刀流挑戦を表明し、伝説の名選手ベーブ・ルースに「少しずつ近づいていきたい」と決意を新たにした。米国流スピーチにジョークも交えて約1000人のファンを沸かせた。今日11日早朝にも日本に帰国し、メジャー1年目の本格的な準備に取りかかる予定だ。
晴れ渡った青空の下で、エンゼルスのユニホームに袖を通した大谷は強い決意を口にした。投打の二刀流が代名詞で、米国では「日本のベーブ・ルース」と称されることについて聞かれ、「すごい光栄なことなんですけど、僕の中では神様と同じくらいの存在」としつつ「野球をやっている以上、少しずつ近づいていきたいと思ってます」。堂々と力強く言い切った。
来季は、ベーブ・ルースが大リーグ唯一の同一シーズン2桁勝利、2桁本塁打を記録してちょうど100年の節目になる。本場米国でも異例の二刀流の実現に「ファンの方々と球団の方々と作っていくものだと思う。まだまだ完成された選手ではないですし、そういう意味では皆さんの応援で僕を成長させて欲しい。僕もそれに応えて頑張っていきたいなと思います」と、真剣な表情で語った。
入団会見はまさに「お披露目ショー」だった。約250人の日米報道陣、1000人を超える地元ファンの前に立った大谷が、英語で自己紹介をすると一斉に拍手がわき起こった。「緊張しますし、今まで考えていたことが全部飛びそう」と言いながらも、柔らかい笑みを絶やさず、米国流のスピーチで心をつかんだ。
過去のメジャーリーガーをはじめ、一般的に日本人のスピーチといえば経緯や心境を話すケースが多い。だが、大谷は違った。エ軍のオーナーのモレノ氏をはじめ、壇上に立った全員の名前を挙げ、感謝の思いを伝えた。さらに日本の家族、尽力してくれた関係者らに「ありがとうございました」と頭を下げた。謝意から始まるスピーチは映画のアカデミー賞、音楽のグラミー賞などの受賞者のスピーチとほぼ同じ構成。結婚式を挙げた同僚のスーパースター、トラウトへ祝福のメッセージで締めくくり、大谷の人間性がストレートに伝わる内容だった。
質疑応答では、キレのあるジョークで笑いも誘った。背番号17を選んだ理由として「本当は27にしようかなという気持ちはあったんですけど、埋まっていたので17番にしました」と返答した。エ軍の「27」はトラウトの番号。ファンだけでなく、壇上のソーシア監督らも手をたたきながら爆笑するほどだった。
米国流のスピーチとジョーク、さらに謙虚で誠実な一面も披露した。真っ赤なユニホームに袖を通した大谷の姿は、青空の下でひときわ輝いていた。
◆スピーチ全文
「ハイ、マイネームイズショーヘイ・オオタニ。こんなに多くの人の前でしゃべるのはちょっと緊張しますし、今まで考えていたことが全部飛びそうなので、ちょっとつまずいたら申し訳ないなと思ってます。まず初めにエンゼルスの皆さんに感謝の気持ちを伝えたいなと思います。オーナーのモレノさん、社長のカルピーノさん、GMのエプラーさん、そしてソーシア監督、全チームのスタッフの皆さん本当にありがとうございます。そして僕の家族、日本でプレーしてきたチームメート、また僕に今まで野球を教えてくださった指導者の皆さま、いつも僕を応援してくださった日本のファンの皆さんにも本当に感謝したいと思います。今回のプロセスに当たり、本当にいろいろな方たちに支えられてここまで来ました。その中でも毎日毎日、何度何度もミーティングを本当に親身になってやってくれたCAAのネズ・バレロさんを始め、マット日高さん、全CAAのスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。たくさんの人たちに支えられて、今日このメジャーリーグのスタートラインに立てて本当に感謝していますし、これからエンゼルスの一員としてファンの皆さんとともに優勝を目指して頑張っていきたいと思います。最後にひとつだけ、今日トラウト選手の結婚式がありますのでおめでとうございます。1日でも早くエンゼルスの選手の皆さんと会えるのを楽しみにしています」。
◆ベーブ・ルース 1895年2月6日、米メリーランド州ボルティモア生まれ。レッドソックスの中心投手だったが1918年(13勝、11本塁打)19年(9勝、29本塁打)に本格的な二刀流に挑戦。ヤンキースに移籍した20年からはほとんど野手に専念。34年に全米選抜の一員として来日し沢村栄治らと対戦。35年はブレーブスでプレー。プロ22年間で首位打者1回、本塁打王12回、打点王6回。通算714本塁打は大リーグ歴代3位。投手では最優秀防御率1回。48年に、がんのため53歳で死去。現役時は188センチ、98キロ。左投げ左打ち。背番号3はヤ軍の永久欠番。