<2004年10月3日付、日刊スポーツ紙面から>【シアトル(米ワシントン州)1日(日本時間2日)=四竈衛、木崎英夫通信員】「野球人生で最高の瞬間でした」。年間最多安打まであと1本に迫っていたマリナーズ・イチロー外野手(30)が、レンジャーズ戦で大記録を破った。第1打席の三塁手の頭上を越える安打で記録に並ぶと、続く第2打席で中前へはじき返し、今季通算258安打。1920年にジョージ・シスラー(元ブラウンズ)がマークした記録を84年ぶりに塗りかえた。さらに第4打席にも遊撃内野安打を放ち、259安打まで伸ばした。イチローが、ついにメジャーの頂点に立った。

 世界の「宝」になった。野球の発祥地・米国で、180センチ、71キロの細身の日本人が、100年を超える歴史の頂点に立った。左翼後方で花火が舞い、地鳴りが響く総立ちの本拠地セーフコフィールド。ヘルメットを頭上に掲げたイチローは、そのすべての音、におい、空気を、心に刻み込むかのように球場全体を見渡した。「僕の野球人生の中で最高の瞬間でした」。第1打席に左前にタイ記録となる257本目を放ち、最高潮のムードで迎えた第2打席。カウント2-3から中前へはじき返した。過去84年間、いかなるメジャーリーガーが挑んでも、誰1人として手を掛けられなかった重い扉を、その細い腕でこじ開けた。

 シスラーの名前と「257」の数字を初めて耳にしたのは、オリックス時代の94年、日本最多の210安打をマークしたころだった。あれから10年。国籍、人種、宗教などの違いを超えて、世界中から野球の得意な男たちが集まった最高レベルの舞台でも、記録集の最高位に名前を刻んだ。

 イチロー

 米国に来てそんなことはあり得ないと思ってました。210本の時は怖さを知らないで自分の力より大きいものが出たし、野球選手として完成されていなかった。でも、今は怖さを知って、それを超えて、技術を確立してできたわけですから、意味が違うと思います。

 人は「天才打者」「安打製造機」と呼ぶ。だが、鈴木一朗も、もとは普通の野球少年だった。熱心にバッティングセンターに通い、故郷・愛知ではナゴヤ球場のスタンドで大好きだった中日に声援を送った。ただ、その当時から「将来は野球を職業にする」という意志だけは、だれよりも強く持っていた。プロ入り後、日本で頂点に立っても模索は続いた。「野球というのはムダなことを考えて、ムダをしないと伸びないこともあるんです」。確かに、メジャーに舞台を移したのは、時代の流れもあった。日本では首位打者争いなどで敬遠策が取られる。そんな狭量さは、米国には存在しない。イチローの心には、全世界から選手を受け入れ、純粋に野球を愛する、成熟した米国の野球文化へのあこがれがあった。

 1920年、シスラーが記録を打ち立てた当時、メジャーはすべて白人だった。47年、ジャッキー・ロビンソン(ドジャース)が初の黒人選手としてプレーした際、シスラーはド軍のスカウトとしてロビンソンの素質を見抜き、門戸開放に尽力した。シスラーが死去した年に生まれた日本人イチローがメジャーでプレーし、新記録に到達する過程に、人格者として知られたシスラーの働きがあったのも、不思議な縁だった。

 イチローが積み上げた数字は、最下位に沈むマ軍の本拠地を満員にし、多くの感動と涙を呼んだ。そこには、少なくとも人種の違いなどない。依然として本塁打志向の強い米国に、野球の原点ともいえる積極打法を再認識させた。

 イチロー

 涙を呼んだ?

 そんな状態だったとしたら、こんなにうれしいことはない。野球を通して、いろんな交流ができるわけですから、スポーツというくくりにしづらくなってくる。まだまだ世界的には(競技)人口は多くないですが、これほど奥が深くて終わりのないゲームもなかなかないですからね。

 米国移籍当時は、いろいろな選手にたとえられた。だが現在、独特のポーズとだれもマネのできない卓越した打撃技術が、比較されることはない。

 イチロー

 あとはメンタル面でしょう。今回だって(周囲の騒ぎに)イライラしたりしましたから。それも受け入れられるようになればいいですね。

 イチローのあとにイチローなし。

 次にこの記録を破るとすれば、おそらくイチロー以外にはいない。【四竈衛】

 ◆近代メジャー

 1876年に最初の大リーグ「ナショナル・リーグ」が発足。1901年に「アメリカン・リーグ」が加わり、メジャーの2リーグ制が始まった。1800年代は野球の草創期でもあり、ルール変更を繰り返した。現在の四球は9ボールから1つずつ減って4ボールになった経緯がある。5ボールを安打と記録したこともあった。そのため、現在とほぼ同じ規則になった1900年以降の大リーグを「近代メジャー」と呼び、規則が一定しなかった1800年代と区別するようになった。○…イチローはゲームセットの直後、チームメートから「ビールかけ」の手荒い祝福を受け、ロッカールームでは同僚選手らと一緒にダンスを披露して盛り上がった。お酒はいける口ではないが、この日ばかりは最高の「美酒」だったに違いない。いつもはクールな対応で知られるが、その後の記者会見では「まさか最下位のチームでビールをかけられるとは…」と喜びを口にしていた。

 ◆イチロー(鈴木一朗)1973年(昭48)10月22日生まれ、愛知県出身。愛工大名電から91年ドラフト4位でオリックスに入団。94年から7年連続首位打者を獲得し、ポスティングシステムによって01年からマリナーズに移籍した。右投げ左打ち。