球界最年長の中日山本昌投手(50)が今季限りで現役を引退することが25日、分かった。近日中に正式表明する。83年ドラフト5位で入団し、ドラゴンズ一筋で32年。今季は世界最年長勝利を目指して、8月9日ヤクルト戦(ナゴヤドーム)に登板したが、投球中に左人さし指を負傷。今季中の復帰は絶望的な状況だった。次々と「最年長記録」を塗り替えてきた日本スポーツ界のレジェンドが、ついにユニホームを脱ぐ。

 球界の生きる伝説がついに、この時を迎えた。この日、名古屋市内で白井文吾オーナーに引退の決意を伝えた。日大藤沢からプロ入りして32年。誰よりもプロ野球の厳しさ、喜びを知る背番号34が、大好きだったマウンドに別れを告げる。近日中にも会見し、正式に引退を表明する。

 神奈川県出身の山本昌は83年ドラフト5位で中日入り。以来、ドラゴンズ一筋の野球人生を歩んできた。プロ5年目の88年には星野監督(現楽天副会長)の指令のもと、中日が業務提携していたドジャースに野球留学。ハングリー精神を学び、代名詞のスクリュー習得のきっかけをつかんだ。全国的に無名だった左腕が、異国の地でプロの礎を築き、通算219勝の超一流選手にまで成長した。

 自称「球界のシーラカンス」は、誰もまねできないような足跡を残した。30歳を超えてベテランと言われ始めた96年には「初動負荷理論」の小山裕史氏と出会い、体の仕組みを積極的に学んだ。06年には最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン。08年には最年長の42歳11カ月で通算200勝を達成した。何をしても最年長がついてまわる「最年長記録ホルダー」は、中年の星として多くのファンから愛された。

 今季は世界に挑んだ。ジェイミー・モイヤーが持つ49歳180日のメジャー最年長勝利記録超えを目指した。だが、今季初登板の8月9日ヤクルト戦(ナゴヤドーム)で左人さし指を負傷。2回途中、わずか22球で夢の挑戦が幕を閉じた。今季中の復帰を目指したが、当初は突き指と思われていた患部の損傷が、靱帯(じんたい)にも及んでいたことが判明。最後まで諦めない姿勢を崩さず練習を続けたが、断念せざるを得なかった。

 山本昌は、日頃から「他でやるつもりなんてまったくない」と熱くドラゴンズ愛を語ってきた。中日は球団史上、最大級といえる功労者に対し、来春オープン戦で引退試合を用意するとみられる。来季は球団の外から後輩たちを見守る予定だ。谷繁、和田、小笠原…。球界を代表するベテランたちが次々と引退という道を選んだ中日、50歳の山本昌にも寂しい秋が訪れた。

 ◆山本昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日、神奈川県生まれ。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。主なタイトルは最多勝3度、最優秀防御率1度、最多奪三振1度、ベストナイン2度。94年沢村賞。186センチ、87キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸4000万円。

 ◆中日ベテラン勢の去就 すでに44歳の谷繁兼任監督、43歳の和田、41歳の小笠原の名球会トリオが引退を表明した。エースとして黄金時代を支えた40歳の川上も右肩痛などに悩まされ、中日退団が決定している。2桁勝利4度の朝倉も引退した。今季6人いた40歳以上の選手では岩瀬だけが現役を続行する。