「一新」を担うエースが、脈々と受け継がれる巨人のエース道を体現した。巨人菅野智之投手(26)が、2回に右手中指のマメをつぶしながら、7回まで投げ抜き、2安打無失点の好投。セ・リーグでは、89年の巨人斎藤雅樹(現2軍監督)以来となる3試合連続完封は逃したが、魂の89球で連続無失点を26イニングに更新した。1-0の9回に沢村が同点ソロを浴び、チームは今季2度目の引き分けに終わった。

 菅野は1人闘い続け、エースのプライドと責任感の間で揺れ続けた。アクシデントは2回だった。先頭の筒香の打席で「(右手中指の)マメがつぶれた。今日は長い回は厳しいなと。だから、1イニングずつ」。イニングが終わればたまった血を抜き、何事もなかったようにマウンドに向かった。皮ははがれ、6回からはしびれさえ感じたが、意地が上回った。「最低7回はいく」。己の心と交わした約束を守り抜き、7回終了時に豊田コーチに真実を告げた。

 菅野 相当、悩みました。やっぱり、最後まで投げたかった。でも、無理をして、次に響くのは一番良くない。つらい決断でした。

 8回、投手交代のアナウンスが流れ、球場にどよめきが起こった。7回2安打無失点、89球での降板劇。27年ぶりの3試合連続完封を逃してもなお、強烈なインパクトを残した。マメをつぶしながら、7回に最速タイの最速152キロをマーク。無失点イニングは26に伸びた。4勝目は消えたが、防御率はリーグトップの0・68になった。

 菅野の執念は、かつての巨人のエース道と重なった。平成の大エースと呼ばれた斎藤2軍監督は「先発にとって、途中交代は恥ずかしいこと。いつも、オレが投げ抜くんだという気持ちだった」と回想する。分業制の今、菅野の2試合連続完封を「時代が変わった。その中で1人エースとして、完封を続けるんだから大したもの」と称賛した。言葉で伝えられなくても、伝統は自然と継承された。

 2人をつなぐ共通項が、記録への意識だった。89年に3試合連続完封を達成した斎藤2軍監督は、当時のことを「試合のこととか、はっきりと覚えてないんだ。後から見て、そうだったんだと思ったくらいだから」と笑った。東海大時代、リーグ記録の14完封を達成した菅野も「(大学の)記録とかは、特に覚えてないです」と同じだった。

 プロ4年目、菅野は記録にも、記憶にも残る巨人のエース道を歩み続ける使命を託された。27年ぶりの記録は逃したが、すでに視線は次に移った。「次の登板は問題ないので、大丈夫です」。患部の回復次第だが、中5日での阪神戦に向け、調整する。【久保賢吾】