本降りのハマスタに2万7001人が集まった。11年ぶりのAクラスが決まった瞬間、ファンの、腹からのうねりが関内駅まで突き抜けた。DeNAが引き継いで5年。ベイスターズは暗黒時代から脱した。

 残酷な数字がある。実数発表の初年度、05年6月10日のオリックス戦。同じ本降りの交流戦だった。観客2260人-。目を背けてきた現実を突きつけられた。当時の球団幹部は、試合中に数字が発表されると「魅力がない。プロとして申し訳ない」と泣いた。1万人を超えれば御の字で、汚いヤジは茶飯事。駐車場から出た瞬間、車に生卵をぶつけられた選手もいた。

 球団を引き継いだ池田社長は、初めて関内駅に降り立った5年前が忘れられない。「小学校のときに見た横浜スタジアムと何も変わっていなかった。時代が変わる中で、衝撃があった」。当初は「DeNAの認知を広げたい、ある種の利己的な発想だった」が、方針を変えた。「野球どころ神奈川の頂点にふさわしい公共財にする」と誓った。

 街に寄り添うことに徹した。ビジター用ユニホームのロゴ「DeNA」を、今年から「YOKOHAMA」に変えた。県内の小学生以下、全員に72万個の帽子を配った。財界や個人株主を回り、絶対に無理と言われていた横浜スタジアムのTOB(株式公開買い付け)を実現した。本拠地の運営会社を連結子会社化し、球場と球団を一体経営。女性や子どもが足を運べる空間を作り、後は勝つだけ、の環境を整えた。

 DeNAの補強第1号は今のラミレス監督。理念を理解する人物に託した。池田社長は「最初は閑古鳥だった。少しは横浜の街とファンに恩返しできたかな」と言い、南場オーナーは「関わったすべての皆さんに感謝したい」と頭を下げた。先人が苦しみながらつないだ歴史と志が絡まり合って、胸躍る球場によみがえった。【宮下敬至】