広島OBで日刊スポーツ評論家の山本一義氏が、9月17日に尿管がんのため、広島市内の病院で亡くなっていたことが3日、分かった。78歳だった。

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 ジェントルマンだった。一義さんはすれ違う人全員に右手を上げてあいさつする。「今日は暑いのう」。絶対にジャケットを着て、香水も欠かすことはなかった。一方で機械には弱く、携帯には出ないし、パソコンを不思議そうに見つめていた。50歳も離れている私に「お前はすごいのう」と笑ってくれる人だった。

 今季は球場に来られなかった。野球の話がしたいです-。手紙にしたためると、電話がかかってきた。「しゃべれるうちに全部伝えとく。メシを食おう」。弱みは絶対に見せない人だったが、野球選手が自分の体を分からないはずがなかった。でも、一義さんは強かった。昨季評論した新聞記事をパネルにして持って行くと「病気に勝つんじゃ。ワシも勝負じゃ」。強い抗がん剤治療にも耐え、そのたびに「勝ったんじゃ」と元気な声で伝えてくれた。

 野球の話は尽きなかった。戦争の話、ノムさんの自宅に行った話、荒川道場に入門した話、金田さんににらまれた話…。どれも楽しかった。そして「かわいがってもろうたんじゃ」。いつもそう言って話は終わった。「誇りなんよ」。聞けば香水もジャケットも、先輩方に「プロとは」を教わったからだった。

 一時退院していた5月9日には自宅に伺った。山のような新聞のスクラップと、連続写真を重ねて待っていた。「一生勉強。打撃に答えはないんじゃけえ」。コーヒーは冷め、メロンが汗を出し切っても、話は続いた。身ぶり手ぶり。私にも分かるように伝えてくれた。最後は「(同僚記者の)前原の分も」とお菓子を持たせてくれた。格好いい人だった。

 緒方監督も畝コーチも新井さんも、みんな心配していた。それでも詳しい病状は「言わんといてくれ」の一点張りだった。亡くなる2週間前。「絶対また電話してくれの」と言ったのに。あれから1度も出なかった。どこまで格好いいんだ、一義さん。どうか安らかに。合掌。【池本泰尚】