プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月27日付紙面を振り返ります。2012年の1面(東京版)は花巻東・大谷翔平投手の日本ハム入団が決定的となったことを報じました。

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 日本ハムがドラフト1位指名した花巻東・大谷翔平投手(18)がメジャー志向から一転、日本ハム入団が決定的なことが26日、明らかになった。この日、栗山英樹監督(51)が岩手・奥州市内で直接交渉。将来的な米球界での成功には日本ハム入りが得策と判断したもよう。次回交渉で球団側へ入団の意思を伝える見通しとなった。日米注目の最速160キロ&高校通算56本塁打のスーパー高校球児が、苦悩の末に日本球界を進路に選んだ。

 大谷の日本ハム入りが決定的となった。栗山監督との初交渉で、少しずつ傾いていた気持ちが固まった。「メジャーで長く、トップで長く活躍したいというのは変わりません。『そこにいくまで一緒に頑張ろう』と言われました。日本球界を選ぶ可能性? そういう道もあると、伝えさせていただきました」。次回交渉で、球団側へ入団する意向を正式に申し入れる見通しとなった。

 将来的に描いてきた、メジャーでのサクセスストーリーの過程を描き直した。日本ハムが自分自身の将来性を最優先に考えてくれた環境と条件が、心変わりの決め手になった。突出した投手と野手の両面での才能の一方だけではなく、ともに伸ばす可能性を探る「エース兼4番」という規格外の育成プランを提示された。大谷本人が2度目の出席となった前回17日の交渉では、そのために球団が整えている育成システム、受け入れ態勢も説明された。

 最大の理解者である父徹さん(50)母加代子さん(48)は日本球界入りを勧めていた。大谷本人もメジャーの第一線で活躍する目標の近道は、日本のプロ野球を極めることが最適、との考えへと傾いていった。大谷は「説得ではなくて、親身になって考えていただきました。ありがたいですし、感謝しています」とすがすがしい表情で話した。

 苦渋の決断だった。ドラフト会議まであと4日に迫った10月21日に、メジャーへ挑戦することを正式に表明。その意思を尊重して指名を見送った国内数球団、また奔走させた米球団に対し、初志貫徹しないことへの強い葛藤があったという。「自分の中で悩んでいる時期もありました」と素直に心境を吐露した。

 メジャーで成功するという野球人生のプラン設計を逆算して考えた時、来季からは米でのマイナー選手ではなく、日本ハムをスタートラインに、夢をかなえる道を選ぶ。紆余(うよ)曲折を経て、日本球界待望のスター候補「日本ハム大谷」が誕生する。

◆日本ハムの大谷交渉経緯◆

 ▼10月25日 ドラフトで日本ハムが単独1位指名。大谷はその時点での入団の可能性を「ゼロ」と発言。

 ▼26日 山田GMらが花巻東高を訪問し指名あいさつするも、大谷は同席せず。

 ▼11月2日 山田GMらが2度目の指名あいさつで自宅を訪問。初めて本人と面会、栗山監督のメッセージ入りサインボールを手渡す。大谷は「高校生からは初なので、パイオニアとしてやっていきたい」。

 ▼10日 花巻市内のホテルで入団交渉。本人は同席せず、山田GMらが両親にメジャー挑戦のリスクなどを説明。

 ▼17日 奥州市内ホテルでの交渉に本人と両親が出席。“エース兼任4番”の二刀流プランに大谷は「少しニコッとした」(山田GM)。父徹さんは「全くNOという感じでもない」。

 ▼21日 球団が、26日の交渉に、栗山監督と山田GM、大渕スカウトディレクターで、本人を含めた大谷側と交渉することを発表。栗山監督は「用意しているけれど、それは秘密」と何らかの準備を明かす。

※記録と表記は当時のもの