【ホノルル17日(日本時間18日)=為田聡史】エースが背負うのは「己の過去」だ!! 巨人菅野智之投手(27)が自主トレ地の米ハワイで“ダブル奪回”の方法論を説いた。自身プロ5年目の来季は、3月に開催されるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の世界一、チームでは12年以来5年ぶりの日本一奪回が大きな課題。ここまでの人生の全てをぶつける明確な哲学で立ち向かう。

 菅野が記憶の奥底を懐古した。来るべく勝負の舞台まで、多くの時間はない。連日のトレーニングで肉体に休息を与えない。準備を着実に進める中で、自分を貫くことを誓った。「WBCは僕の野球人生の前哨戦。相当の意気込みを持っている。今までの自分の野球人生の全てを背負ってマウンドに立つ。それがチームのために投げることにもなるし、勝つためにも直結すると思っている」。

 人生の大半は失敗の連続だと自認する。高校時代は甲子園の出場経験がなく、プロ入り後もチームが日本一から遠ざかっているのも現実としてある。今季のCSファーストステージはへんとう炎で登板回避を余儀なくされた。「後悔という部分で言えば、日々の8割ぐらいは後悔していることばかりじゃないですか。ただ、その瞬間、瞬間で、出来るだけ早く改善するために何をするかを常に考えながらやってきた」。失敗の先にある成功を勝ち取ることが成長の基盤にあると力説した。

 失敗の分類にも明確な考えがある。小学生の時の苦い記憶が頭に残る。「好きな子の筆箱を壊してしまった。問い詰められたけど嫌われたくないから『俺じゃない』とうそをついた。ずっとうそつきだと思われている」。ちょうど野球を本格的に始めた時期の出来事だった。「壊してしまったことはしょうがない。でも、うそをついたことは全て自分次第だった」と後悔だけが残っている。

 思考の基盤は「自分次第」という部分に集約されている。プロ入りから4年間で44勝を挙げ、エースへの道を堂々と歩んできた。さらには、プロ前の浪人生活も失敗とは捉えていない。「何をやるにも自分次第だということを貫いてきた。やるからには最高峰を目指すのは当然のこと。自己満足でもいい。1番になりたい」と言い切る。その上で「今はまだ1番じゃない。まずは日本で1番の投手になりたい」と菅野。常夏の島で、熱く、思いの丈をはき出した。

<菅野の野球史>

 ◆小・中学時代 軟式野球クラブ「東林ファルコンズ」に所属。相模原市立新町中3年の夏は県大会で優勝。

 ◆高校時代 東海大相模で2年の秋から主戦として活躍するも、3年間で1度も甲子園の土は踏めなかった。

 ◆大学時代 東海大の1年秋からエースに名乗りを上げる。3年春の全日本大学選手権の準決勝・慶大戦で4安打17奪三振で完封勝利を挙げたが決勝戦で敗退。広島野村、ロッテ藤岡との「大学ビッグ3」の一角として注目を集めた11年ドラフトで1位指名の交渉権を獲得した日本ハムへの入団を拒否。浪人を決断し、翌12年ドラフトで意中の巨人から単独指名を受けプロ入り。

 ◆プロ入り後 1年目の13年に広島とのCS第1Sで3安打11奪三振で、セCS史上初の完封勝利をマーク。楽天との日本シリーズ第2戦で田中と投げ合い勝利投手。初の開幕投手を務めた2年目の14年は12勝、プロ3年目も2ケタ10勝を挙げた。4年目の今季は文字通りのエースとして先発陣をけん引した。4年間の通算防御率は2・34。