西武辻発彦監督(58)が就任後初の春季キャンプを前に「原点」を訪れた。26日午前、東京・汐留の日本通運本社を訪問。佐賀東高卒業後、84年に西武に入団するまで在籍した古巣で、各所に就任報告とお礼に回った。

 「ここが原点ですから」と辻監督は言う。高校卒業当時、身長は180センチあったが、体重は60キロ前後と細かった。日本シリーズ巨人戦で中前打で1塁から長駆生還する「伝説の走塁」のイメージが強いが、入社当時はベースランニング1周16秒台。それまでチームで最も遅いと言われていた捕手の先輩よりも遅いとやゆされた。

 在籍2年目には、名門校卒の期待のルーキーがずらりと入社してきた。首脳陣からは「今年ダメならお前は終わりだ」とハッパをかけられた。

 「それまでは練習を一生懸命やっているつもりでも甘かった。他人よりやるしかないと思った。地元の佐賀が遠かったので、週末に他のみんなが実家に帰っている間も、自分だけ寮に残っていた。その分、ずっと練習することができた」

 体重は10キロ以上増え、主力に成長。プロも注目する存在になった。腰痛などもあったが、25歳で西武からドラフト2位で指名され、プロ入りした。日本シリーズ10回出場と、常に大一番で活躍し続けたが、それでも野球人生で最もヒリヒリした緊張感を味わったのは「やっぱり都市対抗の予選ですよ」と言う。

 「仕事を半日であがって、野球をやらせてもらっていたから、都市対抗出場は『予算達成』みたいなものだった。負けたら他の社員のみなさんに合わせる顔がない。仕事の合間、本社の屋上でみんなが応援の練習をしているのも知っていた。だから予選を突破したら、本当にうれしかった。自分の野球の原点はあそこにある。目の前の大会に勝って、みんなで喜ぶ。そういう気持ちで、プロに入ってからも野球をしてきた」

 野球部の寮に掲額されていた「己を捨てて、チームのために尽くせ」という言葉は、今も座右の銘のように大事にしている。新監督として目指すところも、そこにある。

 「自分がアウトになってでも、走者を先に進める。それをよく言いますよね、『自己犠牲』と。それは違う。自分が野球選手として評価され、生きていくためなんだと思う。秋季キャンプでは選手たちに、2月のキャンプまでに考えを整理してきなさいと言いました。体力、技術の準備は当然。それだけじゃなく『自分はこうなりたい』『こう生きていくんだ』『チームとして優勝するんだ』という信条をつくってほしい」

 野球史に残る好守の二塁手。それだけに、昨季101失策の守備を立て直すことが期待されるが、それだけではない。応援してくれる人々のために、チーム一丸で目の前の試合に勝ちにいく。それこそが新指揮官が目指す「辻野球」だ。