球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが15日、都内の野球殿堂博物館で発表され、巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏が、43歳7カ月の史上最年少で選出された。また、巨人、侍ジャパンなどで監督を務めた原辰徳氏(59)と阪神金本知憲監督(49)が、殿堂入り通知式に出席した。

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 引退後、原氏はコーチとして巨人に入閣し、監督としても1年間、松井氏を指導。同じユニホームを着て戦った10年間があった。

 原氏が長嶋監督のもと、コーチを務めた時期だった。けが人が続出し、選手にはフリー打撃の際、フットレガーズの着用が義務付けられた。当時、体を締め付ける装備が嫌いだった松井氏は「試合では着けないんだから、練習でも着けたくない」と漏らし、原氏は「慣れない選手はいるだろうけど、ケガをして困るのはチーム。全員に守ってもらう」と断言。もめ事にならなければいいけど-、と心配したのを覚えている。

 打撃ケージに入った松井氏の右足には、何も着いていなかった。それを見届けた原氏は、ベンチに帰ってしまった。嫌な予感が漂ったが、原氏はレガーズを手に持って戻ってきた。「慣れてくれ。お前にケガをされたら困るんだ」とひと言。年配のコーチがわざわざベンチまで取りに戻ってチームの決め事を守らせようとする姿に、松井氏も従うしかなかった。

 当時、原氏は「松井はジャイアンツを背負っていく選手。単純に自分が打てばいいというだけではダメ。ジャイアンツの主力選手なんだから。俺も入団した時から、藤田監督(故人)にそういう教育を受けてきた」と説明してくれた。チームの決め事を守らなかった松井氏を、その場で叱りつけるのではなく、プライドを傷つけないように配慮した“教え”だった。

 その後も松井氏は球界の主砲として上り詰め、FAでヤンキースに移籍。原氏も監督に就任し、輝かしい実績を積み上げた。【小島信行】