阪神第34代監督に就任した矢野燿大とはどんな人物なのか。日刊スポーツでは「矢野という男~阪神新監督の素顔~」と題し、関係の深い人物が秘話や思い出を語ります。第1回は日刊スポーツ本紙で長年阪神担当を務め、97年に矢野捕手がタテジマに移籍した1年目から取材してきた元阪神担当キャップで、野球部の松井清員デスクです。

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初めて矢野を取材したのは、ナゴヤ球場内の移籍会見場だった。メインの大豊に質問が集中。いたたまれず帰り際の薄暗い通路で声をかけ、立ち話となった。目には涙が浮かんでいた。「嫁も泣いてた。僕も悔しい」。97年10月、虎番の先輩記者が中日大豊、矢野と阪神関川、久慈のトレードをスクープ。大豊には球団から事前通告があったが、矢野は当日の新聞で知ったという。ドラフト1位荒木の加入で2年前に背番号2を剥奪されたが、捕手として手応えをつかんだ矢先。「絶対見返したい! 絶対1つ上をいく!」。阪神での背番号は中日での38に1を足した39を選んだ。

燃えた新天地。1年目で正妻をつかんだ。「頭を使う野球、捕手の全てを教わった」という野村監督との「幸運な出会い」もあり、一気に日本を代表する捕手に成長した。星野監督と岡田監督のもと、熱い仲間と2度のリーグ優勝。反骨で始まった阪神での野球人生はいつしか感謝に変わっていた。「タイガースが人生を変えてくれた」。背番号39に込めた思いも変わっていた。「その時は思いもしなかったけど、サンキュー、ありがとうの39やね」。

その後の現役生活は「恩返し」を誓って全てをタテジマにささげた。それは一番苦しかった晩年の決断に現れていた。右肘の故障で出場30試合に終わった09年オフ、球団はメジャー帰りの城島を獲得。一方矢野は67%減で契約を求められ、見かねたオリックス岡田監督から移籍のラブコールを受けた。減額制限超えの提示は自由契約を選べ、「オリックス矢野」誕生かと思われた。だが散々悩み、阪神に残った。「誰が見ても出場機会は多くない。でもいい思いをさせてくれた仲間がいる。長くない残りの現役で恩返ししないと」。

だが実情は苦しく、10年はほとんどが鳴尾浜だった。そして9月末の引退試合では悲劇が起きた。負ければ自力V消滅の横浜戦。右肘痛も考慮し、ラストマスクは9回1死か2死からの予定だった。だが登場曲を矢野の「HERO」に替えてまで感謝を表した藤川も力が入ったのか、四球連発後、村田にまさかの逆転3ランを被弾して3-4。首脳陣も優勝の可能性を最優先する選択を迫られ、出番なく敗戦を見届けた。藤川は試合後、矢野の自宅を訪れ、何度も「すみません」と泣いたという。矢野も突然の訪問に驚き、言葉にならない声で返した。「2回の優勝とか球児でどれだけエエ思いをさせてもらえたか。球児が打たれたら誰も文句言わん。こっちがありがとうやんか!」。悔し涙で入団した阪神での現役ラストは感謝の涙だった。

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97年の阪神と中日のトレードは「大豊&中村武」と「関川&久慈&桧山」の2対3プランもあった。だが久万オーナーが「顔が変わり過ぎる」と球団案の桧山放出を却下し、2対2の顔触れで落ち着いた。あの時久万オーナーのひと言がなければ、矢野は阪神に来ていなかった。そして、21年の時を経て監督になるのだから、人生は分からない。

昨年の1軍作戦兼バッテリーコーチは金本監督の参謀で黒子的存在だった。だが今回は監督。甲子園では、出場できなかったあの引退試合以来のスポットライトを浴びる。もちろん次の「恩返し」は猛虎復活。緒方広島、原巨人との激闘を制し、ファンに歓喜の涙を流させる名監督になって欲しい。(敬称略)