<横浜5-4日本ハム>◇27日◇相模原

 横浜の主砲村田修一内野手(28)が日本ハム戦(相模原)の4-4の8回、今季7号ソロで試合に決着をつけた。交流戦通算30本塁打は、日本人選手でトップに立った。これで横浜は2連勝でセ・リーグのペナントレースでは昨年から指定席の最下位が続くが、「オバQ」田代監督代行になってからの交流戦では貯金1とした。

 師弟だから言葉を交わさなくても分かる。同点の8回裏1死。打席の村田はミスを帳消しにすることしか頭になかった。カウント0-2からの直球をフルスイングの空振り。5球目はすっぽ抜けのフォークをファウル。真っすぐしかない。外角の直球を読み切り上からたたく。打球は右翼席へ消えていく決勝の7号ソロ。4番の大仕事だった。

 反省が先だった。2点リードの6回表、三塁の守備機会で金子誠の鋭い打球をグラブに収められず失点。「緊迫した展開にしたのは自分。取り返すつもりでいました」と振り返る。ベンチに戻り、田代監督代行に「スミマセン」と謝ったが、言葉での返答はなし。結果で返すしかなかった。

 4年前の3月だった。当時、1軍打撃コーチの田代代行と村田は課題のタイミングの取り方に取り組んでいた。田代代行は「ガニまたで打たせたんだよね。軸足に残しながらボールを見られるように。そこからはシュウ(村田の愛称)が作っていった」と説明する。世代を超えた長距離砲。二人三脚のスタートだった。

 3月のWBCで痛めた右足の影響も完全には消えていない。村田は「ほとんど(軸足の)右足に乗せて打ちたいけど、左に流れるのが早い。違和感はないんだけど、自然にかばっている」という。だが授かったのは、ガニまたから始まったタイミングの取り方だけではない。「ミスの後が大事」。師の言葉をかみしめ、打席に入っていた。

 田代代行も「村田がね、男だよ。いやさすが。今日は(緊迫した展開で)ビールの入りが悪いだろうな」と笑顔だ。ミスの後の一打には「若手にいい手本となった」と目を細めた。金本(阪神)を抜いて日本選手トップになる交流戦通算30号で、パ・リーグ首位チーム相手に大きな1勝。交流戦で貯金1となり2位タイに浮上。28日も絆(きずな)で、今季初の3連勝を目指す。【今井貴久】

 [2009年5月28日7時58分

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