<日本ハム3-2ソフトバンク>◇26日◇札幌ドーム

 日本ハムのダルビッシュ有投手(24)が、史上7位のスピード記録で通算1000奪三振を達成した。大台まで残り「9」として迎えたソフトバンク戦で、8回に本多から奪いマークした。今季初の2ケタとなる10奪三振、8回6安打2失点の力投で2勝目。チームを首位に押し上げた。

 精進の末に行き着いた、力みなぎる1球が投手戦を分けた。ダルビッシュが右こぶしを小さく振り上げた。2点リードの8回1死満塁。3番内川へ1ストライクからの2球目。高め、強烈なスピンがかかった152キロの剛球で押し込んだ。難敵はとらえ切れず、ファウルが精いっぱい。「あれで勝った、と思った。ヒットにはならない、と」。3球目のスライダーが二ゴロとなって1点は許したが、最少の傷でしのぎきった。

 この回、打撃妨害などアンラッキーもあり無死満塁のピンチを招いた。2番本多をカットボール2球で追い込み、スライダーで空を切らせて3球三振。全球内角勝負での通算1000三振だった。内川を内野ゴロに仕留めると、続くカブレラは152キロで空振り三振。今季初の2ケタ、10三振を奪った。

 プロ7年目。積み上げてきた「K」の軌跡が、大きな節目に達した。しみじみと振り返った。

 ダルビッシュ

 (1年目の)キャンプの最初を考えたら、ここまでくるとは思わなかった。(ファンら)支えてくれた人たちのおかげですね。

 プロ初三振を奪ったのは05年6月15日広島戦でラロッカから。この日と同じ札幌ドームだった。9回途中2失点の快投でプロ初登板初勝利。右ひざ関節炎でキャンプは2軍スタート。その期間中に未成年での喫煙問題などトラブルが続いた。つまずきかけた18歳の原石を救おうと、いくつもの温かい目があった。

 開幕を2軍で迎え、ファーム成績は昇格材料に乏しかった。それでも当時のヒルマン監督(現ドジャース・ベンチコーチ)とコーチ陣、フロントらで将来を見据えた対応を協議。「このまま1軍で起用しなければ、腐るんじゃないか」との意見で一致した。チーム状態が悪く、日本ハムが戦力的に優位と判断した広島を相手に選択。長打が出にくく、熱烈声援が受けられる本拠地を選択した。

 勝てる可能性が高い環境をお膳立てされるような、高卒新人だった。鍛錬の日々を重ねた24歳の今、日本球界を代表する投手になった。三振は「普通の1つのアウト」と美学を説いた。突き進む王道には、まだ続きがある。【高山通史】