<巨人1-2ソフトバンク>◇25日◇東京ドーム

 今季初5連勝のソフトバンクに守護神が帰ってきた。不調で2軍調整を続けていた馬原孝浩投手(29)が最終9回をパーフェクトリリーフし、今季初セーブを挙げた。右肘違和感から復帰したブライアン・ファルケンボーグ投手(33)も8回を抑えてホールド。交流戦負けなしは球団タイ記録の7試合に伸び、いよいよ盤石の態勢だ。

 最後は勢いあまったのか、馬原は跳ねるようにして着地した。巨人の代打田中大のバットが、フォークに空を切った。空振り三振で、復帰戦を締めくくった。最少リードの最終回を6球で守りきった。最速は146キロ。完全復活の今季初セーブだった。

 「1点差だから余裕はなかった。声援に後押しされた」。

 悲しみを乗り越えた。開幕直前の4月10日。最愛の母、孝子さんが亡くなった。05年の抑え転向以降、守護神を務めてきた強い体の原点は、野球を始めた小学4年生にさかのぼる。内野手からすぐ投手になり、右肘痛に見舞われた。

 病院で「野球をあきらめないといけない」と言われた。診療所勤めの孝子さんが理学療法士を訪れ、アイシングを学んだ。冷蔵庫の氷をビニールに入れ、水と塩を加え、患部の感覚がなくなるまでこすり続けた。眠りに落ちた馬原の肘を、両親が交代で冷やしてくれた日もあった。

 「母には感謝の気持ちしかない」。

 この日も腕を懸命に振った。自信を取り戻し、視線がさまよったあのときの姿はもうない。

 自己ワーストの5試合連続失点で4月24日に2軍落ち。故郷熊本での試合前、秋山監督と高山投手コーチに呼ばれ、2軍降格が決定。調整が遅れ、相手打者と戦う以前に、自らの投球ができていなかった。首脳陣に頭を下げた。

 「自分よりもいい投手が自分の前に投げている。申し訳ありません」。

 約1カ月の調整期間。1軍戦をテレビ観戦していると、いつの頃からか、5回を迎えると準備を始める自分を想像していた。下半身強化を終え、戦闘意欲がわいていた。

 「やることはやってきた。ようやく開幕という形で踏ん切りをつけたい」。

 チームは、交流戦7戦無敗の球団タイ記録。強力リリーフ陣のそろい踏みで、勢いは加速した。誰もが、背番号14の帰りを待っていた。試合後、ウイニングボールは、先発和田から馬原にプレゼントされた。【松井周治】