<西武6-1楽天>◇18日◇西武ドーム

 400回目の放物線も楽天山崎武司内野手(42)らしかった。完封を食らう寸前、9回。西武菊池の甘いスライダーをしばいた。左手1本の大きな大きなフォロースルー。左翼席まであっという間だった。「25年もかかっちゃったな。もっと打てればと思ったけど」。笑いジワが時間を物語る。球史で最も長い時間をかけ大台にたどり着いた。

 四半世紀、ゆっくりと歩いてきた。中日入団直後の87年に海外武者修行。捕手で入団も、星野監督はサードで鍛えたい意向があった。だが生粋の日本男児に米国の水は合わなかった。「『俺もメジャーでやれるかな』って。憧れたのよ。でも、メジャーリーガーとの力差は圧倒的だったんだよね…」。出場機会をもらえず、そのまま単身ドミニカ共和国へ。18歳で流浪の民となった。

 人懐こい寂しがり屋。ショック療法は裏目に出た。食事も全く合わず、毎日バイクにまたがり近所の店へ調達に出掛けた。「10分ほど走らせて、買うのはハエが20匹くらいたかったチキンだったなぁ」。帰国時、100キロあった体重は80キロまでしぼんでいた。

 ただ身を削った苦労は報われた。規格外のスイングに加え、試合への飢えが自然と備わっていた。16日に左手甲に死球を受け、患部が腫れ上がっていたが「休んだらもう試合に出ることが出来なくなる。そんなことは俺が一番知ってる」と笑っていた。弱肉強食の世界で生き抜くために最も大切な資質は、25年たった今でも支えにしている。

 「震えて興奮したあの1本がなければ、今がない」。91年の第1号も星野監督の前だった。力量を見抜き荒波へ放り出し、でっかく育ててくれた。「アイツの打撃は見飽きたわい。長くやってりゃいいことある。大したもんや。大きなケガもなくな」と恩師も負けて柔和だった。山崎は「1本目も400本目も星野監督。感謝します。『おめでとう』と言ってくれたんだ」。素直な言葉がミラールームに染み入った。【宮下敬至】