<ヤクルト3-6DeNA>◇6日◇神宮

 DeNAアレックス・ラミレス外野手(38)が、外国人選手としては初めての2000安打を達成した。ヤクルト戦の6回に先頭打者で、かつての同僚ヤクルト石川から今季1号となる左越え本塁打を放ち、プロ野球史上42人目の快挙を達成した。大リーグを経て01年にヤクルト入団。日本の野球や文化に溶け込もうと努力し、「ゲッツ」など独自の決めポーズなどで人気者となった。来日13年目の「ラミちゃん」は、思い出の神宮で満面の笑みを浮かべた。

 降りしきる雨の中、ラミレスは右手を高々と掲げ、ダイヤモンドを1周した。古巣ヤクルトのファンからも拍手が巻き起こる中、ヘルメットを脱ぎ、感謝を込めてお辞儀した。「本当にうれしい。2000本を達成できて、チームも勝てて、完璧な1日になったと思う」。ぬれた顔は達成感にあふれていた。

 発達する低気圧が近づき、雨脚が強くなる中、記念の一打は弾丸ライナーで左翼席に飛び込んだ。6回先頭で迎えた第3打席。6球ファウルで粘り、フルカウントからの10球目、127キロカットボールを振り抜いた。「打った瞬間はフェンスに当たると思った」と全力で走りだしたが、歓声で本塁打と気付いた。「(本塁打を)狙っていなかったし、頭になかった。満員じゃなかったけど、満員くらいの歓声に聞こえたよ」。

 日本での13年間で2000本を積み上げた。来日1年目の数カ月は打てなかった。大リーガーのプライドが邪魔をしていた。「生き残るため」に当時の若松監督の声に耳を傾け、アッパー気味のスイングを改めた。日本流を受け入れたことが分岐点になった。

 「外国人選手が日本に順応するには『何で?』じゃなくて、『はい、分かりました』と、まずその通りにやることが一番いいと思っている」。慣れない日本語を勉強し、日本人の考え方や文化を学んだ。そして積極的にコミュニケーションを図った。人気芸人のギャグを取り入れるなど、今では代名詞となったパフォーマンスなど、その姿勢が多くのファンの心をつかんだ。今では「何でだろう、と思うことがなくなったね。日本人になったんじゃないかと思うよ」と笑う。

 英語での会話の中でも、ラミレスは“ガイコクジン”という日本語を使う。「使い出したのは日本人と見なされるようになった時からだと思う。外国人枠を外れて(09年)から。昔から知っていた言葉だけど、それまでは使っていなかったね」。プレー年数という形式的な線引きだとしても、周囲から日本人選手として扱われ、“日本人”と意識するようになった。

 その意識は、WBCという大舞台に立つ名誉にもまさったのかもしれない。今年、ベネズエラ代表入りの打診を受けたが辞退。「国を代表してプレーするのはとても名誉なこと。でも13年日本にいて、ベネズエラ代表として日本と対決することに複雑な感情もあったんだ」。理由は手術した右肘の痛みだけではなかった。

 「ある程度稼いだら米国に戻ろうと思っていた」と明かすラミレスは、国籍を問わず助言を求められる立場となった。「将来的には日本人になりたいと思っている。田中ラミレス?」と笑わせ、日本の国籍取得も見据えている。ただ、その前にやり遂げたいことがある。最下位が続くDeNAでのクライマックスシリーズ進出だ。「2000本を1つのステップにして、CS進出に向けて走っていきたい」。偉大な記録をなしえた“日本人”は、まだまだ走り続ける。【佐竹実】

 ◆ラミレスは日本人扱い

 野球協約第11章(選手数の制限)第82条(外国人選手)の中で、日本国籍を持たない外国人選手の例外について「選手契約締結以後、日本プロフェッショナル野球組織が定めるフリーエージェント資格を取得したもの」とある。ラミレスは08年に国内FA権を取得し、09年から外国人枠を外れて日本人選手と同じ扱いになった。97年に郭泰源(西武)が適用第1号。04年ローズ(巨人)が2人目で、ラミレスは3人目。以後はカブレラ、フェルナンデス、ミンチェ、シコースキーも同様の扱いになった。