<巨人6-4中日>◇6日◇東京ドーム

 1つの山を越えた。巨人ドラフト1位菅野智之投手(23)が、中日戦に先発し、プロ初勝利を飾った。自身2度目の先発は8回を投げ6安打4失点。序盤はスライダー、カットボールなどの変化球主体。中盤以降は、最速149キロの直球を軸に勝利をたぐり寄せた。打線も好調で巨人は1941年(昭16)以来の開幕6連勝。2リーグ制後は初となる好スタートとなった。

 想像を絶する眺めだった。ウイニングボールを勝ち取った菅野が、東京ドームのお立ち台にたどり着いた。「去年1年間、我慢してここまでこれた。本当にうれしいです。あらためてジャイアンツに入って良かったなと思いました。今日1勝できたことは自分の野球人生で忘れられない日です」。地鳴りのような大歓声の中、かみしめるように言った。12球団で最も心強い味方打線から6点の援護を受け、盤石の状態が整ったマウンド。プロ入り後、常に口にしてきた「まず1勝」の山を一気に登りきった。

 序盤からエンジン全開で飛ばした。打者が1巡する3回まで完全投球で歩を進めた。初登板で課題だった左打者への内角は、膝元を厳しく攻めた。右打者へは追い込んでからの外角変化球とつり球の直球を使い分け、テンポよくアウトカウントを積み上げた。4回の投球前に相手ベンチで円陣が組まれると「たぶん作戦を立てていたと思う。絶対にゼロで抑えたかった」。ルナの初安打後に和田にも連打されたが、最後は森野を二ゴロに仕留め、グラブをたたいた。

 小さな目標を立て、達成しては、また新しい目標に挑戦する。小さいころから実践してきた。小学生で本格的に野球を始めた直後だった。祖父の貢氏に呼び出され、自宅の庭で打撃指導を受けた。「最初から投手でというわけじゃなくて、打撃のセンスが、いまひとつだったから投手の道を進ませた」と貢氏。伯父の原監督は好打者だったことからも原家のルーツは、まずは打者から。だが、菅野は「僕は投手の方が好きだった」と、素直な気持ちのまま野球道にまい進した。

 中学生になり合間を見つけてバッティングセンターに通った。「ストラックアウトのパーフェクト記録を持っているんですよ。たぶん、今でも破られていないと思います」。100円玉を握りしめて一目散に向かったのは打席ではなくプレートだった。通常の9枚ではなく、さらに細分化された16枚のプレートを目掛け、最少投球数での完全攻略を目指した。投手王国とも評される巨人のマウンドを夢見た。

 日本ハムのドラフトを拒否し、巨人一筋を貫いた。1年間だけ遠回りした。「目先の目標がなくなったことが一番、つらかった」と、節目の日に今まで決して口にしなかった浪人時代の本音を明かした。もっと大きな目標がはっきり見えたから少しだけ後ろを振り返った。「超えることはいつも目標にしてきた。今は『原監督のおい』と言われますが、いつか『自分の伯父さんが原監督』と言われるようなりたい」。菅野が掲げる、壮大な挑戦は、まだまだ序章にすぎない。【為田聡史】