右肩手術から現役復帰を目指していたソフトバンク斉藤和巳リハビリ担当コーチ(35)が復帰を断念、完全引退することが28日、分かった。6シーズンに及ぶ壮絶なリハビリを経て、幕を引く。07年10月8日、ロッテとのクライマックスシリーズ(CS)第1ステージ初戦が現役最後の登板。2度の沢村賞に輝き、球界を代表するエースだった。

 斉藤コーチが現役復帰への闘いにピリオドを打つ。複数の関係者の話を総合すると球団にその意思を伝えた。誰もがエースと認める男が決断した。

 右肩のリハビリは今年で6年目。3月にはブルペンで100球を投げられるまで回復。一時ペースダウンしたが、7月に入ってブルペン投球を再開した。最近は「37歳でも38歳でもやっている人間はいる」「ここまで来て焦ってもだめだし、ここまで来たから焦らなアカン部分もある。足元とか状況を見ながら前に進んでいきたい」などと、話していた。1軍で現役復帰に必要な支配下選手登録の期限が今月末に迫る中、最後まで可能性を追求した。

 入団から7年間で9勝だった右腕は03年にブレーク。16連勝の球団記録、最終的に20勝まで積み上げてダイエーの日本一に貢献。06年は最多勝、最優秀防御率など「投手5冠」を達成した。いずれの年も沢村賞に輝き、瞬く間に球界を代表するエースと呼ばれた。

 大車輪の働きをした代償が右肩を襲った。07年は筋疲労の理由で中10日、100球の制限付きでローテーションを回ったが、痛みは限界を超えていた。08年1月に右肩腱板(けんばん)損傷部分の修復手術を受け、リハビリを開始。10年2月にも同じ場所の手術を受けた。多くの選手がこのけがでプロから去っていた。

 しかし、あきらめなかった。再び1軍で投げると信じ、リハビリと治療を繰り返した。11年から支配下を外れ、選手ではなく、リハビリ担当コーチとなった。球団も「本人が復帰を希望する限りバックアップする」との方針を曲げず、契約更新で復帰を支えてきた。

 芸術品とまで評された美しい投球フォームは多くのプロもお手本にし、192センチの体につけた背番号「66」は野球少年たちの憧れだった。6年に及んだ壮絶なリハビリ。その道程を見た後輩たちは「和巳さんは6年同じことを続けている。だから自分なんかが弱いこと言っちゃだめなんだ」と、心を奮い立たせた。マウンドで戦えなくても、逆境から立ち上がろうとする不屈の姿は、選手の肩書を失っても、エースのそれであり、選手、ファンに勇気を与えた。

 07年10月8日のCSロッテ戦がラスト登板。試合で投げることだけを願い、信じ、2000日以上を過ごした。そしてこの日も西戸崎合宿所にいた。ブルペンで40球を投げ、強化メニューをこなし、周囲にその決心を悟らせなかった。いつもと同じようにリハビリをする、斉藤コーチだった。

 ◆斉藤和巳(さいとう・かずみ)1977年(昭52)11月30日、京都府生まれ。南京都(現京都広学館)から95年ドラフト1位でダイエー入団。03年に26試合登板で20勝3敗をマークし、主要タイトルを独占して沢村賞も獲得。05年は16勝1敗で勝率9割4分1厘。06年18勝で2度目の最多勝と沢村賞に輝いた。08年以降の登板は右肩故障のためゼロ。11年からリハビリ担当コーチ。192センチ、95キロ。右投げ右打ち。