<巨人4-6ヤクルト>◇13日◇いわき
ヤクルトの“でんでん太鼓投法”ルーキーが、敗戦ムードを変えた。ドラフト3位秋吉亮投手(25)が巨人7回戦で同点の8回に登板し、1回を3者凡退に封じた。直後に味方が勝ち越し、プロ初勝利を手にした。かつては“都立の星”と呼ばれたルーキーが、信念を貫いてヤクルト救援陣の救世主に名乗りを上げた。
劣勢を断ち切るべく、秋吉が思い切り“両腕”を振った。同点の8回。左手をぶらりとしながらサイドから投じる「でんでん太鼓投法」で、臆することなく巨人打線に挑んだ。先頭片岡をはじめ打者3人からスライダーで2奪三振。直後の9回に味方が勝ち越し、初勝利が転がり込んできた。「先発で初勝利したかったけど、ビシッと抑えて初勝利はうれしい」と記念球を握りしめた。
敗戦ムードを変えた。7回に巨人ロペスが放った左翼ポール際への本塁打判定から端を発し、同点に追いつかれていた。三塁田中浩や小川監督も猛抗議をしたが判定は変わらず、チームに嫌な雰囲気が漂った。だが、秋吉は冷静だった。「ゼロに抑えて流れを持っていく」と牙を研いだ。周囲に流されないのは、昔から変わらない強みでもある。
独特の投球フォームは、足立新田高時代に身につけた。チーム事情で1年秋から投手に転向。「リラックスして投げること」を追求し、たどり着いた。投球時に左手が開くことは、一般的に短所といわれる。だから、ことあるごとに指摘された。それでも「投げやすいのが一番」と拒んだ。短所を矯正するのではなく、「無駄な力を入れずに(左手の反動で)、びゅっとキレのある球を投げる」長所を伸ばすことを選んだ。
そのうえで、周囲を納得させるべく磨いてきたのがスライダーだった。高校時代、思うように曲がらずブルペンで泣きながら投げ続けたこともある。当時監督だった畠中陽一さん(47=都立大島高教諭)は「どうすれば抑えられるかを昔から追求していた」。こだわってきた「投法」と「球種」で、プロ生活の幕を開けた。
7回の本塁打判定で怒り心頭だった小川監督も、秋吉の話題には「8回を3人でぴしゃっと抑えたのが9回につながった」と笑顔を見せた。たかが1勝だが、されど1勝。「中継ぎは勝ちより抑えること。チームに貢献するだけ」。ヤクルトの“アキレスけん”だった救援陣に、孝行息子が誕生した。【浜本卓也】
◆秋吉亮(あきよし・りょう)1989年(平元)3月21日、東京都生まれ。都立足立新田高では3年夏に東東京大会4強。中央学院大ではリーグ通算14勝。パナソニックでは日本代表として12年アジア選手権優勝に貢献。13年ドラフト3位でヤクルト入団。182センチ、73キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸1200万円。
◆都立出身投手の勝利
プロ初勝利のヤクルト秋吉は都立高の足立新田から中央学院大-パナソニックを経て入団。都立高出身選手が勝利投手になったのはドラフト制後、67年井手峻(新宿-東大-中日、通算1勝)、72~76年渡辺孝博(八王子工-東海大-日立製作所-ヤクルト、通算24勝)に次いで3人目。



