いきなり姿を隠した!

 9年ぶり日本復帰で注目のソフトバンク松坂大輔投手(34=メッツ)が宮崎キャンプ初日の1日、報道陣をシャットアウトしてブルペンで立ち投げ(捕手を立たせての投球)を行った。調整段階の姿を見せたくないという平成の怪物としてのプライドから、非公開で「第1球」を投じた。

 誰もいなくなった午後のブルペン。ひとりでシャドーピッチングをしていた松坂が報道陣の方に歩み寄ってきた。「あの…もういいですか?

 退出していただいて」。申し訳なさそうな笑顔でお願いした。

 午後2時38分。約50人の報道陣が退出し、ブルペンの入り口が閉められた。ドアの向こうから乾いた捕球音が響いた。約30分、秘密の投球練習は続いた。

 ブルペンから出てきた松坂は「立ち投げです。球数は数えず、時間をかけて投げました。集中してやりたかった。まだお見せできるものではない。あまり見られたくない」と話した。注目の日本復帰。キャンプ初日に報道陣は練習開始から松坂に密着していた。非公開とする前にはシャドーピッチングで「11球」を投じて「頭撮り」させたのは、松坂の気遣いだった。

 「シャドーでもよかったけど投げた方が感覚がつかめる」と昼食時に加藤領健ブルペン捕手に相手をお願いした。シャドーの最初は歩幅6足半、途中から6足にと幅を変えた。何度も足の裏でマウンドの軟らかさを確認した。スパイクではなくアップシューズで行い、力が入るのをセーブした。加藤ブルペン捕手によると60~70球、キャッチボールの延長のようにゆっくり投げたという。

 松坂は「マウンドの感覚は久しぶりだった。つくたびに足がズレるというか沈む」と日本のマウンドを思い出していた。多くの視線、シャッターの連射音を遮って集中したいのはもちろん、調整段階の姿を見せたくないというのも本心だ。「(米国で)投球を知って大人になっていると思います。昔のように馬力だけで投げているわけではない」。5日からの第2クールで、本格的なブルペン投球を開始。その際は「松のカーテン」もめくることになりそうだ。【石橋隆雄】

 ◆松坂メジャー時代の主なキャンプ初ブルペン

 渡米1年目の07年2月18日、レッドソックスのフロリダキャンプで初ブルペン。日米報道陣250人が見守り、国内テレビ各局も衛星生中継する中、ブルペンで47球。翌08年は報道陣が約3分の1となった2月16日、リラックスして41球。背中の張りを訴えた10年には、3月1日にようやく30球。メッツとマイナー契約だった昨年は2月17日にフォーク以外全球種で43球を投じ、4月のメジャー契約につなげた。