新日本プロレスの真夏の最強戦士決定戦「G1クライマックス26」大会は、初出場のケニー・オメガ(32=カナダ)が、外国人として初めて優勝した。IWGPヘビー級王者オカダでもなく、昨年覇者の棚橋でもなく、今年上半期に大ブレークした内藤でもなく、大方の予想を覆しての優勝だった。

 「自分は新日本のマットで勝つことを夢見て、トレーニングを重ねてきた。今、夢がかなった。14年かかった。14年でレジェンドになった」と、オメガは14日の優勝決定戦の後、しみじみと語った。13日の内藤とのBブロック1位をかけた戦い。そして、優勝決定戦での後藤戦。2試合合わせて1時間近い戦いで、オメガは間違いなく新日本トップスターへの仲間入りを果たしたといえる。

 オメガは、83年10月16日にカナダ・ウィニペグで生まれた。10歳のときにアイスホッケーを始めたが、同時に父親のランスさんと毎週のように通うプロレスの大ファンだった。16歳で実家近くのインディー団体で、プロレスラーを目指し、リング設営やDJ、リングアナなどの仕事を手伝いながら練習を始め18歳でデビュー。その後、ハリー・レイスが主宰するプロレスキャンプへ参加した。

 当初は1番できのいい選手は、日本のノアへ留学が約束されていたという。しかし、そのキャンプに突然、ジョニー・エースがやってきて、1番の選手のWWE入りを宣告。オメガはWWEの下部組織へ入団した。しかし、WWEデビューへ向けたトレーニングは、オメガが目指したプロレスと違った。「型にはまった練習で、自分のワザとかを自分で決められなかった。頭の中にイメージがあるのにそれが出せなくて、苦しくなった」という。

 1年間でWWEをやめ、実家に帰って見たDDTのDVDが運命を変えた。「飯伏幸太のプロレスを見て、自分のプロレスと考えが近いと思った」と08年にDDTに自ら売り込んで初来日。飯伏とのプロレスは、シングル戦でもタッグ戦でもベストバウトを獲得するなど、オメガの名前は一気に日本中に広まった。14年には、その直前のWWEからの入団の誘いを断って新日本入り。わずか2年でG1制覇という新日本の頂点までたどり着いた。

 「ボクの夢は、自分たちが1番だと思っているWWEや世界中のWWEファンの人たちに、自分のプロレスと新日本が1番だと思わせること。新日本には、自分と同じようなイメージを持つ仲間たちが多くいる。13日と14日の試合で、世界の人にそれが見せられたと思う」とオメガは言う。新日本をステップに、WWEへ入団する外国人選手が多くいる中で、オメガは新日本の中にいて、WWEに戦いを挑むサムライだ。【プロレス担当=桝田朗】