大相撲の陸奥親方(元大関霧島)が、今月3日に65歳となり日本相撲協会の定年を迎えた。2日付で師匠を務める陸奥部屋の閉鎖に伴い、部屋頭の大関霧島ら力士たちは時津風一門の別々の部屋へと移っていった。同親方自身も、音羽山部屋の部屋付き親方になった。昨年11月の九州場所中に定年を迎える際の心境を尋ねられ「早く終わりたい。責任がある立場は本当に大変だよ」と語っていた。年の離れた弟子を指導する師匠の苦労を感じ取った。

昨年5月の夏場所前に発覚した部屋内での力士間の暴力問題が念頭にあったのだろう。「やってきたことに自信が持てなくなってきた」と語る表情は寂しげだった。同場所後に大関昇進を果たした霧島も含め「良いことも、悪いこともいっぺんに来た」と思うのも無理はない。現役時代とは社会状況も、相撲界も変わった。世代間のギャップに苦しみながら弟子たちと向き合う。会社員の管理職と同じような悩みを抱えていた。

かつて名古屋場所前に稽古を休むという力士を引き連れて散歩に出かけたことも、口下手で少々こわもてな親方なりのカンフル剤だった。「行きは4時間歩いたら、帰りは先に帰っちゃったんだよ。翌日に『きょうも歩くか』と聞いたら、稽古をやると言ってくれた」と懐かしそうに笑みをこぼした。

しこ名を継いだ大関霧島が決して特別だったわけではない。「良いものを持っている子はたくさんいた」と振り返るが、地道に稽古を積んでいけたのは一握りだった。

「アイツ(=霧島)はほっといてもやるんだよ。一番大事なのは素直さだよ。他のスポーツもそうじゃないかな。個人競技だろうと、団体競技だろうと。やる子はやる。言わなくても、自分で力いっぱいできる子がすごいよね」。霧島を含めて現役を続ける弟子もいれば、閉鎖を機に引退を決意した弟子もいる。おのおのの道に進んだ教え子たちへ。「努力はそこで終わりはないから」。今後の活躍を陰ながら見守っている。【平山連】