照ノ富士が右膝の負傷を抱えながら、強行出場で15日間を終えた。苦しみながらも9勝6敗。秋場所13日目に「右膝前十字靱帯(じんたい)損傷」と診断されたが、それでも出場にこだわった理由は「俺を見に来てくれるお客さんもいるから」。平幕時代にはなかった、協会の看板を背負う責任感だった。

 体が思うように動かず、気がめいり始めた後半戦。日馬富士が優勝争いしたことで、再び発奮した。夏場所では自身の初優勝をアシストしてくれた兄弟子の奮闘に「優勝してほしい。恩返ししたい気持ちもある」と宣言。14日目には3分近い大相撲で白鵬を破る有言実行を演じた。

 だが本当の理由は、けがの功名だ。「誰がどんな立ち合いをするか、分かってきた。前はカアッとなって見てなかったけど、今は冷静だから『こんな立ち合いが来るなら、こう行けば勝てるんじゃないか』と考えられる。いい勉強になった」。今場所は早々に消滅したが、来年の綱とりに向け研究に徹していた。千秋楽後にはさっそく「来場所の稽古や!」と腹筋を開始。照ノ富士はすでに、先を見据えている。【桑原亮】