大相撲春場所は、新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の劇的な逆転優勝で幕を閉じた。左肩付近にテーピングを施した手負いの横綱が、本割、優勝決定戦とも逆転の相撲で大関照ノ富士(25=伊勢ケ浜)を連破。貴乃花以来の新横綱優勝を果たし、君が代斉唱で涙した姿に、列島が興奮のるつぼと化した。

 柔道の山下泰裕しかり、骨折した反対の右手だけで痛打した阪神金本知憲しかり、そして鬼の形相で武蔵丸を投げ飛ばした貴乃花も。手負いのアスリートが、骨身を削って全霊を傾け勝負に挑む姿は、どんな時代でも人の心を打って止まない。

 その稀勢の里の不屈の姿勢に、何ら異論を挟む余地はない。傷を負った姿で戦うのは相手に失礼、その後の土俵人生を棒に振ったとされる貴乃花の例を出すまでもなく代償を考えた時、出場にストップをかける関係者はいなかったのか、という声も確かにある。

 ただ今回は、誰あろう横綱が判断したこと。周囲が思うほど重傷ではなかったのかもしれないし、本人がこれで現役生活を断たれようとも土俵を全うするのが横綱の務め、と決断したのなら周囲は尊重し見守るしかないだろう。貴乃花親方(元横綱)も千秋楽の取組前に「出場を決めた稀勢の里の意思を尊重して、私たちは見守るしかない」と話していた。

 そんな状況で勝負はついたが、どこかふに落ちない一抹のモヤモヤが正直、残った。そんな時、旧知の知人から電話があった。陸上競技に長く携わった相撲ファン。短い問いかけにハッとさせられた。「あのさぁ、稀勢の里すごかったけど、同じ変化でも稀勢の里は何ら問題にされないのに、照ノ富士は気の毒だよな。同じようにケガしてたっていうじゃない。同じように格下相手なのに、ちょっと気の毒っていうかなぁ…」。

 稀勢の里が選択した千秋楽本割の照ノ富士戦での、立ち合い変化。左の上半身は使えない。ならばと「上(左の上半身)がダメなら下(足)がある」と飛んで打開しようとした。どんな時も愚直なまでに真っ向勝負を挑んできた横綱が、窮余の策に選んだ変化。その2日前、もんどり打って倒れ、苦痛に顔を歪ます姿をファンも、取材する我々も見ている。白日の下にさらされたことで、誰もが変化を「容認」した。批判するつもりは毛頭ない。当然の選択だと思う。

 一方の照ノ富士。前日14日目の琴奨菊戦は、注文相撲で13勝目を挙げ単独トップに立った。館内からは中傷まじりのブーイングの嵐。千秋楽を終え、いみじくも照ノ富士が「目に見えない傷がある」と吐露した心の傷を抱えての2番だったろう。相手が、あと2勝で大関復帰となる琴奨菊だったことも非難ごうごうに拍車をかけた。

 この時、照ノ富士の左膝は悲鳴を上げていた。12日目の朝稽古後、明らかに照ノ富士の表情が、抱えた痛みでくもったのを日刊スポーツの担当記者が報告してきた。翌13日目の鶴竜戦で足を引きずるまで悪化。14日目の朝稽古後は病院にも行ったという。

 膝など下半身のケガは、上半身のそれより力士生命を縮めかねない致命傷になる。八角理事長(元横綱北勝海)も稀勢の里が負傷した際に、程度の差はあるが「ケガをしたのが脚でなかったのが、せめてもの救いじゃないかな」と話していた。ただ、大関の負傷状況は本人も詳細を明かさないことから、さほど報道されず「目の前の白星を安易に拾いに行った」という印象を与えてしまった。一方の稀勢の里は取組直後の、衆人環視の元でのケガ。同じ番付下位の相手に見せた「変化」だが、照ノ富士を知人が指摘する「気の毒」な状況にさせたのは、そんな背景もあったと思う。

 稀勢の里の存在は間違いなく、現状の相撲人気を支える柱になっている。それには、スポーツメディアも乗るところは乗って、盛り上げたいと思う。一方で、熱狂の裏側に当てるべき視点、逃してはならない冷静な目を失ってはいけない。余韻が覚めやらぬ、いまだからこそ思う。【渡辺佳彦】

稀勢の里が突き落としで照ノ富士を下し、優勝決定戦に持ち込む(共同)
稀勢の里が突き落としで照ノ富士を下し、優勝決定戦に持ち込む(共同)