プレーバック日刊スポーツ! 過去の2月8日付紙面を振り返ります。2010年東京版は、亀田大毅がWBA世界フライ級タイトルマッチで勝ち、日本初の兄弟世界王者が誕生したことを伝えています。

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<プロボクシング:WBA世界フライ級タイトルマッチ12回戦>◇7日◇兵庫・神戸ワールド記念ホール

 日本初の兄弟世界王者が誕生した。亀田3兄弟の次男大毅(21=亀田)が、WBA世界フライ級王者デンカオセーン・カオウィチット(33=タイ)との再戦に3-0判定でリベンジし、新王者となった。クリンチの連続でリズムに乗れなかったが気持ちを切らさず、WBC同級王者の長男興毅(23)に続き、3度目の挑戦で世界王座を獲得。反則を連発した07年10月の前WBC同級王者内藤大助(宮田)戦の苦い敗戦からはい上がり、リング上で男泣きした。日本ジム所属の男子世界王者は最多タイの7人に並んだ。

 抑えていた感情があふれ出した。判定勝利を聞いた大毅は、兄興毅と、弟和毅とリング上で泣きながら抱き合った。デンカオセーンへのリベンジを果たし、日本初の兄弟世界王者が誕生。「この日のために練習してきて、ううっ、ありがとうございます。21年間生きて来て、一番うれしいです」。人目もはばからず、震える声が響きわたった。

 18歳で迎えた07年10月の内藤戦で、大毅の人生は一変した。初の世界挑戦で反則行為などもあり大差判定負け。1年間の謹慎処分と世間からの大バッシングを受け、亀田家の風向きも変わった。それから2年。兄興毅は昨年11月に2階級制覇を達成。弟和毅も1月にメキシコでベルトを手にした。一方、大毅は昨年10月のデンカオセーンとの世界戦も敗退。3兄弟の次男で「昔からみんな『強いな興毅君、和毅君』やった。オレはほめられたことなかった」という男は、プロでも置いてけぼりをくった。「オレは亀田家で邪魔なんかな…」。自分を卑下するしかなかった。

 だが、前世界戦の数時間後に起きた出来事が大毅の心を救った。当初、亀田側は大阪の宿泊先ホテルの1室を大毅の祝勝会会場として押さえて案内も出していたが、王座奪取に失敗し中止になった。亀田兄弟が会場に片付けに訪れると、扉の前に約200人が立っていたという。中に招き入れ、急きょ残念会を開催。「おれらは元気がないし大毅はシュンとしてる」(興毅)というほど空気は重かった。だが、周囲は笑顔で大毅を励まし続けた。

 大毅 みんなが『もう1回やろう』って…。やるしかないんや、おれもな。ありがたかった。

 再起の決断が事態を動かした。翌朝に亀田ジムがWBAに判定を不満として再戦要求し、WBA総会で認められ合意に至った。それでも「オレの2009年はまだ終わってない」と、大みそかの柴又帝釈天での鐘つきも欠席。前回の対戦翌日からほぼ無休で練習し、スパーリングは約100回を消化した。練習法も、慣れ親しんだ入場曲も変えた。すべてをかけ、やっと結果を出した。大毅は「21年間で最大の仕事をやり遂げた」と胸をなで下ろした。

 ただ、内容はもろ手を挙げて喜べるものではなかった。前半こそ足を使った新スタイルを見せようとはした。だが、相手が2度の減点を受けるほどのホールディングとクリンチを終盤にかけ多発したこともあり、内容が乏しい世界戦になってしまった。大毅も「内容は全然」と認めつつも「プレッシャーに打ち勝った。負けたら亀田家におられへんって思ってたから。最終的には勝つことだけやった」と振り返った。

 リング上で大毅は「2年間、ご迷惑かけてすみませんでした」と謝罪した。次戦は元同級王者の坂田(協栄)との対戦が義務づけられているが「ちょっとゆっくり休むわ」と笑った。大毅がようやく重い十字架をおろし、新たな道を歩き始めた。

※記録や表記は当時のもの