プロ格闘家でK-1、HERO's、UFCなどで活躍した日本を代表するファイター、山本“KID”徳郁さん(本名岡部徳郁=おかべ・のりふみ、旧姓山本=KRAZY BEE)が18日、胃がんのため療養中のグアムの病院で亡くなった。41歳だった。姉で同じくレスリングから転向した美憂(44=同)と一緒に、RIZINで戦うことを目標に病と闘っていた。美憂は30日のRIZINさいたまスーパーアリーナ大会に、故人の遺志を継いで出場する。

総合格闘技界の巨星が、この世を去った。KIDさんがインスタグラムでがん闘病を公表したのは、先月の26日のことだった。それから、1カ月もたたないうちの悲報。41歳。あまりにも若すぎる死に、格闘技界に衝撃が走った。

KIDさんの看病のため、練習拠点を5月からグアムに移していた姉の美憂は、7月のRIZINインタビューでKIDさんのことを語っていた。闘病中のKIDさんのことを考え、7月29日のRIZINさいたまスーパーアリーナ大会欠場の意思を伝えると、KIDさんは「やっぱり出ないとダメ。ここで勝ち癖つけないとだめだよ。絶対勝てるから」と、病床からメールで出場を勧められたという。

美憂は「ノリは、自分が必ず生きてリングに上がること。『美憂と一緒にRIZINに出たい』と言ってくれた。絶対、有言実行だから、うちの弟は」と気丈に答えていた。父、姉、妹とレスリング一家の中で、常に家族に元気を与える強さの象徴が、KIDさんだった。

レスリングで00年シドニーオリンピック(五輪)を目指したが99年の全日本選手権で準優勝に終わり、プロ転向を決意した。K-1、HERO's、DREAMなどで活躍。「KID」の愛称の通り、60キロそこそこの体で、70キロ近い階級で戦い、相手をバタバタとKOして名を上げた。そんなKIDさんも、00年代終盤から大きな故障が相次ぎ、戦績が下降線をたどった。UFCに挑戦した12年以降は欠場が続き、実戦から遠ざかっていた。

それでも美憂がRIZIN参戦を表明した16年8月以降は、東京・馬込のKRAZY BEEジムで姉のトレーニングを見守った。美憂に向けるKIDさんの表情は優しかった。美憂が練習中は、美憂の子どもの相手をし、大会の際はセコンドにも入った。姉や、姉の長男アーセンの戦いぶりを見ながら、再びRIZINのリングに立つことを思い描いていた。

KIDさんが亡くなった後、美憂は30日に開催が迫るRIZINスーパーアリーナ大会への出場意思を、あらためてRIZINに伝えたという。KIDさんの闘う魂は、姉の美憂に引き継がれた。

◆山本“KID”徳郁(やまもと“きっど”のりふみ)1977年(昭52)3月15日、川崎市生まれ。72年ミュンヘン五輪レスリング日本代表の父郁栄氏の手ほどきで幼少からレスリングを始め、姉美憂、妹聖子は元世界選手権王者。シドニー五輪を目指した99年全日本選手権フリー58キロ級で2位。01年に修斗でプロ格闘家デビュー。04年にK-1MAX参戦、同年大みそかに魔裟斗からダウンを奪った。05年にHERO'sミドル級王座を獲得。09年からDREAM、11年からUFC参戦。KRAZY BEE主宰。163センチ。