<悼む>

 日本プロレス界の生き証人が天に召された。

 「レフェリーが選手より目立ってどうすんだ」というのが、ジョーさんの口癖だった。リングの主役はあくまでレスラーであり、レスラーの動き、テレビや、新聞、雑誌カメラマンの位置などにも配慮。同じ場所に長くとどまることなく、軽やかにリング上を移動していた。寝技に入って試合に動きがなくなったときだけは両手を大きく動かして声をかけ、観客も飽きさせなかった。

 「オレはよお」で始まるジョーさんの問わず語り。バトル新人記者時代に、日本プロレス時代のことを、面白おかしく話してくれた。和田京平レフェリーがメーンレフェリーをちょくちょく務め始めたころだった。

 外国人選手のインタビュー通訳をジョーさんにお願いすると、選手はみな、きちんと応対してくれた。選手への細かい気配りは、初来日でジョーさんに生意気な態度を取る選手がいると、古株の選手がその選手を戒めることでもよく分かった。外国人選手からの信望はとても厚かった。

 ジョーさんが裁いた試合で一番印象に残っているのは元横綱・輪島の国内デビュー戦(86年11月1日)だ。対戦相手がインドの狂虎の異名を持つタイガー・ジェット・シン。リング内外で暴れ回った試合だったが、なんとか収まりがついた。

 ジョーさんと最後に言葉をかわしたのは三沢光晴選手の葬儀のとき。不義理をおわびし、ご冥福をお祈りいたします。(元バトル担当・川副宏芳)