<全日本:和田京平レフェリー40周年&還暦大会>◇14日◇東京・後楽園ホール

 全日本の和田京平レフェリー(60)のレフェリー40周年&還暦大会が行われた。秋山準社長の提案で決まった大会は、全7試合を和田レフェリーがプロデュース。還暦仲間の渕正信が世界ジュニア王座に挑戦するタイトル戦、抗争を繰り広げる諏訪魔と潮崎がコンビを組むタッグマッチなどで来場したファンを喜ばせた。

 和田レフェリーは3試合を裁いた後、秋山社長から赤いちゃんちゃんこ、選手会からリングシューズを贈られた。運送会社のアルバイトから故ジャイアント馬場さんの目に留まり、レフェリーを始めた。「感無量です。選手会からシューズをもらったので、まだ10年やらなきゃ。まだまだ頑張ります」とあいさつした。

 「キョーヘイ」の呼び名で親しまれ、リングでは軽快な動きと毅然(きぜん)とした態度で選手から尊敬される。信念は「レフェリーは絶対」。馬場さんから「レフェリーが一番強いんだよ」と言われた言葉を胸に、トップレスラーでも凶暴な外国人レスラーでも反則を許さない。

 思い出の試合は、98年1月23日の馬場さんの還暦記念試合。試合後、帰りの車中で馬場さんから言われた「京平、オレもまだまだできるな」という言葉が、この日の自分にダブったという。1万試合以上を裁き、マットにたたきつけてカウントする左手のひらは、右手より分厚くなった。まだまだ、選手とともに名勝負をつむぎ続ける。【桝田朗】

 ◆和田京平(わだ・きょうへい)1954年(昭29)11月20日生まれ、東京都足立区出身。72年に入団。ジョー樋口、マシオ駒に師事し、74年にレフェリーデビュー。馬場の付け人を10年務めたこともある。11年6月に、当時の武藤敬司社長を批判して全日本を退団。13年7月に、名誉レフェリーとして復帰した。