小さな大横綱が天国に旅立った。大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。「ウルフ」の愛称で親しまれ、史上3位の31度の優勝など昭和から平成にかけて一時代を築き、89年には角界で初めて国民栄誉賞も受賞。大鵬、北の湖に続き道産子の大横綱がこの世を去った。

 横綱千代の富士はケガとの闘いを乗り越え、史上初の通算1000勝、31度の優勝を達成した。度重なる肩の脱臼などにも弱音をはかなかった。わが道を貫き、角界をけん引してきた、そんな小さな大横綱も、病にはかなわなかった。

 午後5時11分、家族全員にみとられて逝った。遺体を乗せた車に、久美子夫人と長男剛さんが同乗。都内の病院から、午後8時12分に東京・墨田区の九重部屋に到着した。キャスター付きベッドに乗せられ、佐ノ山親方(元大関千代大海)や幕内千代の国らが寄り添った。力士らは師匠の遺体に触れ「ありがとうございました」と涙を流しながら言葉をかけた。

 九重親方は昨年5月末に両国国技館で還暦土俵入りを披露。その後、膵臓がんが見つかり、手術を受けた。「早期発見で良かった」と喜び、以後は1滴もアルコールを口にしなかった。しかし、最近になってがんが胃や肺などに転移し、鹿児島県などで治療を続けていた。7月の名古屋場所は4日目の13日を最後に休場し、都内で入院していた。

 70年秋場所初土俵。81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進した。小兵ながら左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで土俵に君臨し「小さな大横綱」と称された。角界のプリンスと人気を博した大関貴ノ花に代わるように看板力士となり、筋肉質の体で北の湖らと一時代を築いた。身長183センチ、125キロ前後の細身ながら、スピード、引き締まった体、眼光の鋭さなどで老若男女を魅了した。

 91年夏場所。初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に敗れ、3日目に貴闘力に屈し現役を引退。「体力の限界…」と涙する姿は感動を呼んだ。92年4月から九重部屋を継承。大関千代大海らを育てた。

 協会内では日本相撲協会理事として事業部長や審判部長などを務めた。しかし、14年の理事候補選に落選。今年1月の理事選も出馬の意向を持っていたが、票がまとまらず断念した。夢に描いていた第2の千代の富士育成に心血を注ぐ-。そう心機一転した直後に待っていた人生の最期。波瀾(はらん)万丈の人生に、幕を下ろした。

 日本相撲協会は今日1日、両国国技館で臨時の理事会を開く。協会葬やファンに向けたお別れの会などの開催が検討される。

 ◆膵臓(すいぞう)がん 膵臓にできる悪性腫瘍。早期の場合はほとんどが症状に表れず、早期発見が難しい病気。多くが進行している状態で発見されて、手術不可能な状態で見つかることも多い。手術したとしても、3年以内に再発する可能性が高く、5年生存率(5年間がんが再発しなければ完治したと言われている)は10~20%とされている。

 ◆九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士。本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝は史上2位。優勝31回は同3位。88年夏場所から昭和以降3位の53連勝をマーク。89年に角界初の国民栄誉賞受賞。三賞7度。金星3個。91年夏場所限りで引退し、92年4月に年寄「九重」を襲名して部屋継承。家族は夫人と1男2女。

<葬儀日程>

 ▼通夜 6日午後6時から、東京都墨田区石原4の22の4、九重部屋

 ▼葬儀・告別式 7日午後0時半から、同所

 ▼喪主 妻久美子(くみこ)さん