苦節15年、大関稀勢の里(30=田子ノ浦)が涙の初優勝を果たした。平幕逸ノ城を寄り切って1敗を死守。結びの一番でただ1人2敗だった横綱白鵬が平幕貴ノ岩に敗れて決まった。

<稀勢の里寛(きせのさと ゆたか)アラカルト>

 ◆本名・萩原寛 茨城県牛久市出身。「ひろし」より語感が良いと父貞彦さんの思いで「ゆたか」。

 ◆少年時代 相撲は小2から。「よく寝て、よく食べて、よく遊ぶ」が家訓で、幼少から朝6時起床。昼寝の習慣もつくり、力士と同じサイクルで生活。スナック菓子や炭酸ジュースは一切口にせず、お菓子は主に母の手作りケーキ。

 ◆スポーツ歴 幼稚園で水泳を始め、小3の終わりから野球も始める。中3で身長183センチ、体重90キロ超を誇り、野球部のエースで4番。常総学院高など茨城県内強豪校からスカウトされた。

 ◆“てんぐ”の足 先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)が足の指を見て「初めて見たとき、てんぐのうちわのような指をしていた」と評したほど5本の指がきれいに分かれる。中学2年の途中から卒業まで毎晩、ちり紙を丸めたり、市販のスポンジを買って親指と人さし指の間に詰めて睡眠。外反母趾(ぼし)にならないように気をつけた。

 ◆スピード記録 「稽古量が多い」理由で旧鳴戸部屋に入門。02年春初土俵。04年夏に貴乃花に次ぐ史上2位の17歳9カ月で新十両。同年九州で貴乃花に次ぐ史上2位18歳3カ月で新入幕。06年名古屋で史上4位19歳11カ月23日で新三役。

 ◆スロー記録 12年初で大関昇進。新入幕から所要42場所は史上5位。三役通過は史上4位の22場所。

 ◆趣味 ボクシングなどの格闘技やアメフット、野球、サッカーなどあらゆる競技を観賞。エアロビクスの世界大会も好んで見る。ゴルフのヘッドスピードは時速230・4キロ(ちなみに男子ゴルフの松山は今季米ツアーの計測で時速191・3キロ)をマーク。シャフトの硬さはプロでもあまり使わないほど硬い「XXX」。

 ◆両利き 生まれつきは左利き。幼稚園時に父貞彦さんが「日本社会は何事も右利き用につくられている」と矯正。ただ、中3夏の野球地区予選で、右手首を脱臼骨折。1カ月以上も二の腕までギプスで固定され、完治まで左手を使用。今は左手で字を書き、箸を持ち、歯も磨ける。代名詞の左おっつけの下地ができた。