10日に死去した劇作家つかこうへいさんのけいこ場の机にはいつも白いティッシュの山ができた。ヘビースモーカーで、すぐたんが絡まり、話すそばからティッシュに手が出ていた。ティッシュの山が高くなるほど、つか節がさえ渡った。

 与えたせりふを俳優に何度も復唱させた。脚本なしでその場でせりふを与える「口立て」という独特の手法で一言一句間違えることを許さず、体の奥から発しているかを注意深く見た。しっくりこなければ、新たなせりふを与え、ひらめけば差し替えた。時に俳優を極限状態に追い込み、内面をさらけ出させることで役に真実味を与えた。演じる者の個性によって芝居も変えた。けいこの中で生まれる俳優本人も気付かなかった個性を大事にした。

 追い詰められた結果、再生のきっかけをつかむ俳優も多かった。壁にぶつかっていた阿部寛は「熱海殺人事件」に出演し個性派俳優として大きく脱皮し「人生のプラチナチケットをもらった」と感謝する。かとうかず子、小西真奈美、黒木メイサは新人時代に薫陶を受け、石原良純、黒谷友香、内田有紀ら殻を破って再生した俳優も多かった。

 作品は多岐にわたったが、差別やいじめを抱え込んで生きる人々への温かい目線が根底にあり、反権力、社会的弱者をテーマにしたものが多かった。主人公には同性愛者など差別されるマイノリティーが登場し「心正直に生きて傷つく人のために、闘わなくちゃいけない」が口癖だった。在日韓国人として生まれ育ったつかさんは生前、そのことを隠しもせず、声高にも語らなかったが、エッセー「娘に語る祖国」では在日ゆえのつらい体験と祖国への複雑な思いをつづった。

 唐十郎など小劇場の創始者世代に続く第2世代の代表格で「つか以前」「つか以後」の言葉も生まれた。つか作品の多くは映画化、ドラマ化され、小劇場からメジャーに進出するきっかけをつくった。後に続く野田秀樹、マキノノゾミ、いのうえひでのりら第3世代に大きな影響を与えた。毒気とユーモアで時代を斬(き)りまくったが「芝居の最後はハッピーエンド」が持論で「一貫して救いを持たせ、希望を持てる芝居をつくってきた」。声を上げられない無数の人々に寄り添い走り続けた62年だった。【演劇担当・林尚之】

 [2010年7月13日10時4分

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