明るく陽気なキャラクターでバラエティー番組でも親しまれたオペラ歌手の中島啓江(なかじま・けいこ)さんが23日午前10時35分、呼吸不全のため、都内の病院で死去していたことが28日、分かった。57歳だった。27日に近親者で密葬を済ませた。しのぶ会を来年開く予定。喪主は弟洋一(よういち)氏。

 中島さんは今月17日、呼吸が苦しいと訴え、都内のかかりつけの病院で診察を受けた。血中酸素濃度が低下していると診断されて入院したが、21日に容体が急変。呼吸困難に陥り、意識が混濁するようになったという。設備がより整った病院に転院することも検討していた直後の23日に帰らぬ人となった。あまりに急だったため、弟も最期をみとることができなかったという。両親は既に他界している。所属事務所のホームページにも「きっと本人も亡くなったと思っていないのではないでしょうか。あまりにも急で悲しすぎます」と記されている。

 ふくよかな体形がトレードマークだった。関係者によると、身長165センチで体重は170キロほどあったという。肥満のため、心臓と肺に負担がかかっていたという。ひざにも負担がかかっており、最近はつえを使用していた。それでも、今回はすぐに退院するつもりで、あくまでも念のための入院だった。入院翌日の18日に品川区で行った講演会には病院から直行。ひざ痛改善のため食生活から見直そうと、入院を機に栄養士に指導を仰ぐなどして、入院を前向きにとらえていた。

 4年前にテレビ番組のダイエット企画で、3カ月で約20キロの減量に成功したこともあったが、リバウンドした。特にひざの痛みに悩まされ、東京・博品館劇場で毎年、企画・演出も兼ねて行う単独公演「夢で逢いましょう」は来年は休み、ダイエットに取り組む予定だった。体重や体調の管理に真剣に向き合おうとしていたところだった。

 所属事務所によると、生前、音楽で送ってほしいと希望していたため、年明けに音楽をメーンにした、しのぶ会を開くという。

 音域4オクターブの歌唱力を生かしてミュージカルにも多数出演。朗らかな笑顔と豪快なキャラクターで、バラエティー番組などにも出演して親しまれた。

 ◆中島啓江(なかじま・けいこ)本名同じ。1957年(昭32)11月15日、鹿児島県生まれ。昭和音大でオペラを学び、藤原歌劇団に所属。86年に単独公演初開催。87年に宮本亜門氏演出のミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で注目された。TBS系「平成名物TV・いかすバンド天国」やNHK教育「夢りんりん丸」に出演。99年、大仁田厚、元クリスタルキングのボーカル田中昌之と「サンドイッチ」結成。NHK「みんなのうた」で歌った「この胸おいで…」も話題に。毎年1月17日に阪神・淡路大震災の追悼チャリティー公演を開催。独身。