東日本大震災で児童74人が死亡、行方不明となり学校管理下で最悪の津波災害となった宮城県石巻市立大川小の児童23人の19家族が、市と県を相手に23億円の損害賠償を求めた裁判が明日26日、仙台地裁で判決公判を迎える。大川小で長男大輔くん(当時小6)を失い、原告団の団長を務める今野浩行さん(54=会社員)。「裁判に負ければ、子どもが亡くなった時の真実を追究する機会が断たれてしまう」と重圧につぶされそうな日々を送っていた。

 「息つく暇もない、悲しみと怒りが連続した5年7カ月だった」。今野さんは大輔くんと同時に、長女麻里さん(当時高3)次女理加さん(当時高2)も津波で亡くした。

 3年がたった14年3月、仙台地裁に提訴。震災直後から10回に及んだ石巻市教委らとの話し合いや、行政側が行った検証委員会の報告でも、子どもたちが死ななければならなかった理由と真実が分からなかった。

 学校のすぐ近くには裏山があるが、午後2時46分の地震発生から51分もの間、学校側が児童を高台に避難させず、なぜグラウンドに待機するに至ったか。真実を解明することが再発防止につながると信じて、戦ってきた。

 「大輔の目からは血の涙が流れてきました。拭いても拭いてもまたすぐに流れてきます。まるで、死にたくなかった、生きたかったと私に訴えるかのように、何度も流れてきました」

 今野さんの陳述書の一節。遺体安置所で棺に入っていた大輔くんの様子だ。津波から生還した只野哲也さん(17=当時小5)は大輔くんが「先生、山さ逃げよう」と話していたことを震災直後、証言した。小学6年の児童が津波襲来の恐れを訴えていた中、当時の校長、柏葉照幸氏(震災時は出張中で不在)は今年4月の公判で「大川小に津波は来ないとの前提で、学校運営をしていた」と証言した。

 しかし、同校の「危機管理マニュアル」では津波襲来を想定した内容になっていた。さらに震災2日前の前震時、柏葉氏は津波対策を話し合っていたという。

 このように争点は「津波の予見性」に終始した。「目的は真実の検証だった。でも争点が限定的になってしまった」と今野さん。教職員10人が犠牲となる中、唯一生還した男性教諭の証人尋問も精神疾患を理由に実現しなかった。

 それでも敗訴はできない。「負ければ検証する道が断たれる。行政に説明を求めるテーブルにさえつけなくなる。不明者4人の家族は今も捜索を続けるが、その費用負担も大変。勝てば捜索費も行政が出すことになる。再検証も始まる」。

 自宅2階にある3人の遺品置き場には携帯電話がある。「番号を残しておきたかった。出るはずはないけど、かけたこともある。番号がなくなると全てが終わってしまう気がして」。

 津波予見ばかりに焦点が当たったが「判決文には『命の重み』という文言を入れてほしい」と切に語る。勝訴し、再発防止に向けての再検証が始まるまで、墓前で報告は出来ないと考えている。【三須一紀】