2002年(平14)と言えば、つい最近のことにも思える。サッカーの日韓W杯が開催された年に産声を上げた子どもは今、将棋界に新しい風を吹き込む。藤井聡太4段(14)は昨年10月、史上最年少14歳2カ月でプロになった。年末には重鎮の加藤一二三(ひふみ)9段にも快勝。未来を切り開く天才少年の素顔はいかに。熟考して真摯(しんし)に答える姿は盤上で見せる真剣勝負そのものだ。

 注目のデビュー戦は、昨年のクリスマスイブに行われた。50人を超す報道陣に囲まれる慣れない雰囲気にも揺らぐことなく、大ベテランを打ち負かした。年齢にそぐわない強心臓の持ち主かと思われたが、将棋を覚えた祖父母宅で見せたのは、あどけなさが残る恥ずかしがり屋の14歳だった。

 「初対局の感想ですか…。そうですね…。う~ん」

 ひとこと発して15秒が経過した。

 「やっぱり、う~ん」

 今度は12秒、間が空いた。

 「初対局で加藤(一二三)先生に教えていただいて、これからプロ棋士でやっていくんだなということを強く感じました」

 照れくさそうに、ようやく語りだした。将棋は祖父母に勝てるのがうれしくて、5歳で始めた。

 「祖母は銀が横に動いてしまうような初心者。祖父も何とか駒の動きが分かる程度だったので、すぐに勝てるようになりました」

 “将棋一家”にはほど遠い。親戚が集まった時に遊ぶために用意してあったという。ただ、聡太少年は駒の動かし方が書いてある初心者向け「スタディ将棋」に食いついた。負けず嫌いの性格が才能を伸ばした。

 「家族とトランプをしていても、負けたらもう1回、と自分が勝つまで終わりませんでした。小さいころは将棋に負けると泣いたり怒ったりしていました」

 幼稚園当時から四則演算を使う算数パズルを解き、塾にも通わず地元の有名中学に進学。テスト直前以外、勉強は学校のみ。持って生まれた知力の高さに加えて、楽しんで「努力」した結果が、最年少プロ棋士の座に導いた。だが、本人には、最年少プロになっても、とりわけ早いという実感がない。

 プロ養成機関の奨励会に入ったのは12年秋、小4の時だった。

 「三段リーグは1回で抜けましたが、二段リーグで1回失敗して昇段を逃しました。奨励会を出るまで4年かかりました。早い人は3年で抜ける。だから、最年少プロといっても、すごく早くプロになったという気はしていません」

 最年少プロ棋士と聞けば、長時間の特訓を連日こなしていそうなものだが、まるでそんな様子はない。

 「将棋の勉強ですか。すごく適当です(笑い)。集中力が長く続く方でもないですし。将棋以外の時間もゆったり過ごしています。勉強の時は集中していますが、たとえば周りの音が聞こえなくなるとか、そこまですごく集中するようなことはありません」

 母の祐子さんによれば、将棋と日常生活の境目が、あいまいだという。特別に頑張っているようには見えないそうだ。気の向くままに駒を持つ。他のプロたちが「努力」と呼んでいるものを藤井少年は「努力」と思っていないようだ。

 「詰め将棋は好きです。小学生のころに通った、将棋教室でよくしました。今は自分で問題を作って、気に入った作品は他の人に解いてもらうこともあります。作る方は完全に趣味です」

 同年代の仲間たちがスマートフォンで連絡を取り、ゲームアプリを楽しむ中、SNSは利用しない。朝日新聞を読むのが日課だ。

 「テレビも週に1時間ついているかどうか。新聞は将棋だけでなく、頭(1面)から最後まで読みます」

 小学生の時、自己紹介の欄に、最近関心があることとして「尖閣諸島の問題」「南海トラフ地震」「原発」と書いて注目された。

 「はっきりは覚えていませんが、新聞に書いてあったことを、そのまま書いたんだと思いますよ。あまり深く考えていたわけではないんです。でも、学校で得意な教科は社会です」

 天才棋士にも意外な弱点がある。買い物が苦手だ。

 「出掛けるのがちょっと面倒。あと、コンビニの店員さんにお金を渡す時が気になっちゃうんです。財布からお金を出すのに時間がかかり過ぎかなとか。無駄に怖がりなんです。生活能力が低いんです(笑い)」

 将来の夢は、棋界の最高峰、名人を目指す。

 「将棋を指すからには、タイトルを目指していきたい。僕も本当に将棋が好きですし、もっと興味を持ってくれる方が増えたらうれしいことです。その一助になれたらうれしいです」

 将棋の話になると、途端に会話の内容が大人びる。プロとしての意識の高さが伝わってくる。

 「憧れの(プロ棋士の)先生はいないんです。いい部分を勉強するというか。今は勝ち負けにとらわれ過ぎないように。実力がないのに、結果を求めても仕方がないので。実力を高めることに集中したいです」

 3年後に控えた2020年東京五輪・パラリンピックには、藤井4段と同年代の若者たちも、メダル候補として日本を沸かせる。

 「(千駄ケ谷の)将棋会館の近くに、新しい国立競技場ができるんですね」

 東京五輪のシンボルの近くで成長する若き棋士。知識を貪欲に吸収する少年の可能性は無限に広がる。どれだけ高く、力強く、飛び跳ねるのか、楽しみだ。【聞き手・小松正明】

 ◆藤井聡太(ふじい・そうた)2002年(平14)7月19日、愛知県瀬戸市生まれ。5歳の時、祖父母宅で将棋に触れ、地元の将棋教室に通い始める。小1でアマ初段。日本将棋連盟東海本部の東海研修会に入会。12年9月に杉本昌隆7段門下でプロ棋士養成機関の奨励会。15年3月の詰将棋解答選手権で最年少優勝(当時12歳)。16年10月に史上最年少14歳2カ月で4段になり、中学生としては史上5人目のプロ入り。デビュー戦では、それまでプロ最年少記録(14歳7カ月)を保持していた加藤一二三9段を下した。家族は父母と兄の4人暮らし。好物は地元名物みそ煮込みうどん。陸上が得意で50メートル走自己ベストは6秒8。名古屋大学教育学部付属中2年生。