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2005/01/06付紙面より
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新潟に力 幸子の雪椿
スポーツ部 永井孝昌記者
「紅白見たかね」。
「見たて、久しぶりに。最近は子供が大みそからってんに格闘技みてな番組見せて、とか言ってチャンネル変えるっけ全然紅白も見られんかったけど、今年は小林幸子が見てかったっけねぇ。1チャンネルに合わせたら、子供も黙って小林幸子見てたこて」。
「地味らったみてらね、今回は」。
「でもいかったよ。きれいな黒い着物着て、帯んとこにも雪椿つけて。歌だけでもジーンときたて」。
「そいでも毎年豪華な衣装楽しみにしてる人もいっぺいるんだっけ、文句言う人もいるんじゃねんかね」。
「それが心配らてぇ。『豪華な衣装を着ないなら出るな』とか『地震のおかげで大トリ』とかいじわるな手紙が届いてねばいいんけどねえ。そんげことになってたらかわいそうら」。
「地震地震言っても、ほとぼり冷めれば新潟以外じゃほとんど報道されねんだて。本当はほとぼりが冷めてからが大変らってんにね。うちの親せきの子供なん、余震で揺れるたんびに大っきい声で『お母さーん、地震屋さん呼んでー』って怖がってた言ってたよ」。
「避難所に入ってる時は周りに同じ境遇の人がいるけど、1カ月もして避難所出たら家もねぇし、田んぼもぐちゃぐちゃらし、着るもんもねし、これからどうやって生きていくんだって考えたらほんに心配ばっからっけね。まして子供に『お母さん、これから私たちどうなるの?』なんて聞かれても、なんて答えればいいんかも分からねしね」。
「そうやんだて。小学生くれの子供は今でも1人じゃ怖くて寝れねっていうし、私も地震の後はしばらくまくら元にサンダル置いて寝てたっけね。東京の知り合いが『余震が収まるまで出てきたらいいこって』って電話してきてくれたけど、近所がみんな頑張ってたら自分だけ逃げるなんてできねっけね」。
「だっけね、小林幸子がテレビで『被災地を訪れて涙が止まらなかった。どうしてもいつもみたいな衣装は着る気になれなかった』って言ってんの聞いた時は涙出たて。紅白ん時も、小林幸子がねえ、マイク下ろしてたっけ聞こえんかったけど、雪椿歌い終わった後に涙浮かべて、口元震わせて『頑張ってください』って言ってたんだて。もう、それ見たらこの1年間大変だったこと思い出して涙止まんねかったよ。ましてねえ、もしかしたらいろいろ嫌がらせみてなこと言われてるかもしらんのに、と思ったらなおさらね。なんやかやと言う人もいるかもしんねけど、あれ見た新潟人はみんな励まされたんじゃねんかね」。
「大みそかも雪降ったし、今年もこれからまだまだ寒くなりそうらね」。
「今年は頑張んねばダメら。雪椿に勇気もらって、これから雪の下でも頑張って、春になったら雪椿が花咲かすみてにみんなで笑えるように頑張るこて。昨年のことは、大みそかで泣き納めにしよて。そうしんかったら、あの歌に笑われるいね」。
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永井孝昌(ながい・たかまさ)
新潟県加茂市出身。93年入社。北関東支局勤務を経て、97年からスポーツ部でサッカー担当。5年間のプロレス担当の後、03年11月からサッカー担当に復帰。34歳。
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