開幕まであと3年、金メダルへの戦いは始まっている。リオデジャネイロ大会で複数の金メダルに輝いた柔道、競泳、体操、レスリングは、過去の五輪でも金メダルを量産した日本の有力競技。チームを率いた監督たちの指導法、指導哲学には、日本が目指す金メダル世界3位へのヒントが詰まっている。「御四家」指導者に聞く新シリーズの第1回は柔道男子の井上康生監督(38)。選手からの忘れられない一言の裏に、同監督の「変革」があった。【取材・構成=峯岸佑樹】

柔道男子日本代表の井上康生監督は時折笑顔を見せながら質問に答える
柔道男子日本代表の井上康生監督は時折笑顔を見せながら質問に答える

■「先生!!メダルかけてくださいよ」

 リオ五輪閉幕から4日がたっていた。16年8月25日、都内のホテルで行われた日本選手団の解団式。井上監督のもとへ代表選手7人が駆け寄り、こう言った。

 「先生 !!  全員分のメダルをかけてくださいよ」

 一瞬、戸惑いを見せたが、井上監督の首へ選手1人1人からメダルがかけられた。金2個、銀1個、銅4個の計7個。総重量3・5キロ。4年間の成果が凝縮された何とも言えない重みを体感した。少々照れながら記念撮影もした。その表情は井上監督が大切にしている笑顔そのものだった。

 井上監督 これほどうれしい言葉はなかった。メダルは想像以上に重く、彼らの偉業の重さと背負っていた重みをそのまま感じました。現役時代の金メダルとは違った重さで、忘れられない時間でした。目頭が熱くなりました。それぞれのメダルの感触や重さは絶対に忘れません。

 7階級制となった88年ソウル五輪以降、史上初めて全階級でメダルを獲得した快挙の裏には、井上監督の大胆で緻密な「変革」があった。12年ロンドン五輪では史上初の金メダルゼロに終わり、柔道男子の再建を託された井上監督は「選手との対話」と「情報収集」を重視した。

 井上監督 柔道は前提として、個人競技である以上集団意識を持ちすぎてもいけない。傷をなめあう集団であってはいけない。孤独に打ち勝ち、日本代表で戦っている以上は覚悟と責任を持って、苦しいことでも耐えないと勝ち続けることはできない。代表7人はこのことを理解した上で「戦う集団」でした。7人7色の性格を持つ中で、良い意味で自立して成熟していました。全階級でメダルを獲得できたのは、そこがあったからだと思います。

 特に大切にしていたのは「対話」だった。メールやLINE(ライン)だけでは真意は全て伝わらないというのが持論。選手の考えに耳を傾けて、徹底的に議論する。考えは押しつけずに「能力を最大限に発揮するためにはどうする?」などと、問いかけながら力を引き出す。合宿などでも選手やコーチら全員に声をかける。リオ五輪前には、同じミスを繰り返さないように「課題克服シート」を作成。選手が毎試合の課題を書いて指導陣が返信を書き込み、密なコミュニケーションを図った。

 井上監督 便利になって失われるものも必ずある。失われたものを補うようなことを意識的にやらなければ、取り返しのつかない事態に陥る。人間関係の基本を決しておろそかにしてはいけない。言葉づかいや服装、態度についても話します。あるコーチから紹介してもらった本で「人は見た目が9割」と書かれていて、その通りだと思いました。いい子になれというのではなく、五輪を目指す上で選手の素晴らしさを知ってもらいたいということです。

 情報収集も徹底した。全日本柔道連盟ではロンドン五輪後、情報分析班を稼働させ、世界各国の大会で映像を撮影。外国人選手の得意技や、指導の取り方、取られ方などを事細かに分析した。4年間で8000試合以上のデータを蓄積。五輪で裁く国際審判員の判定傾向まで明らかにした。これまでは、映像を選手に見せたとしても「こんな感じ」とイメージを持たせる程度だった。「自身の柔道を貫けば勝てる」が日本式だった。

 井上監督 細かく準備して臨むしたたかさがなければ勝てない。勝負は勝負する前から始まっていて、いかに準備が大切かということです。

 世界の柔道は変化している。五輪が終了する度に、国際柔道連盟は新ルールを発表。各国ともにその国で生まれた格闘技や武術の要素を組み込んだ独自の「複合柔道」を作り上げる傾向にある。2年間の英国留学経験のある井上監督は、伝統を守りつつも既成概念にとらわれず、外へと目を向けた。強化合宿では、ロシア生まれの格闘技サンボや沖縄角力(すもう)、ブラジリアン柔術などの異種格闘技を取り入れた。昨年末は総合格闘家の青木真也、年明けはレスリングのグレコローマンスタイル日本代表コーチらを招いた。

 リオ五輪でメダルを手にした国は過去最多の26カ国。メダルが世界へ分散していく中で日本は最多記録を更新した。しかし、64年東京五輪で採用されて以来、金メダルが至上命令とされている日本柔道男子にとって、金2つは物足りないのかもしれない。「全階級で金メダル獲得を目指す」。井上監督は高い目標設定をして、リオ五輪での快挙につなげた。

 井上監督 これで日本柔道が復活したとは思っていない。選手全員が金メダルの実力を備えていたにもかかわらず、2個にとどまったことは強化に足りないことがあったとの証し。私自身がもっと指導者としてスキルを向上させて、人間として成長しないといけない。

 東京五輪まであと3年半。リオ五輪は過去のことと捉えて、その先の進化や成長を求めている。「柔道教育=人間教育」。井上監督の変革は終わらない。


 ◆井上康生(いのうえ・こうせい)1978年(昭53)5月15日、宮崎県都城市生まれ。5歳から柔道を始める。東海大相模高―東海大―ALSOKを経て東海大柔道部副監督。東海大体育学部武道学科准教授。00年シドニー五輪男子100キロ級金メダル。04年アテネ五輪では日本選手団主将。08年5月引退。11年に日本男子コーチ、12年11月に監督に就任。13年8月に国際柔道連盟の殿堂入り。家族はタレント東原亜希夫人と1男3女。183センチ。血液型O。

 ◆日本柔道と五輪 初めて採用された64年東京大会では無差別級こそヘーシンク(オランダ)に優勝を許したが、4階級中3階級を制した。その後も競技が行われなかった68年メキシコ大会と不参加の80年モスクワ大会を除いて全大会で金メダルを獲得。92年バルセロナ大会からは女子が加わり、04年アテネ大会では男女14階級中8階級で優勝する快挙を達成した。12年ロンドン大会では男子が史上初めて金メダル0に終わったが、井上監督に率いられたリオ大会では64年以来52年ぶりに全階級でメダルを獲得。金メダルも2個獲得し、お家芸復活を世界にアピールした。

御四家メダル数グラフ
御四家メダル数グラフ

 ◆夏季五輪日本金メダル「御四家」の占める割合 日本が獲得した夏季大会の金メダル総数は142個。87%にあたる124個を柔道、レスリング、体操、競泳で稼いでいる。4競技に続くのは陸上の7個だが、うち4個は戦前のもの。他の競技も単発的に獲得しているにすぎない。リオ五輪日本選手団の高田総監督も大会後に「東京も金メダルは4競技が中心になる」と話すなど、期待は大きい。リオ五輪で好成績を残した柔道男子の井上康生監督、競泳の平井伯昌ヘッドコーチ、体操男子の水鳥寿思監督、レスリングの栄和人総監督は、3年後の東京五輪に向けて引き続き強化の先頭に立つ。

(2017年1月25日付本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。