<文化放送アナウンサー 斉藤一美(49)>

 97年から昨年秋まで「ライオンズナイター」の実況を担当しました。ラジオですから、心がけたのは「完全描写」でした。試合展開もそうですが、どんな動きで、どんな色や明るさで、どんなにおいなのか。野球場で起こっているすべてを伝えたい。早口になりすぎると伝わらないけど、ゆっくりもしていられない。そんな条件もありつつ「完全描写」を目指していました。

 その「種」になったのが92年バルセロナ五輪でした。実は90年に入社した当時はオリンピックの仕事には興味がありませんでした。入社の動機も、バラエティー番組やディスクジョッキーをやりたかった。でも、スポーツアナウンサーを希望した方が採用してくれるという情報もあったので、「両方やりたいです」って希望しました。

 最初はスポーツを担当したのですが、3年目にバルセロナ五輪のリポーターに抜てきされました。柔道71キロ級古賀稔彦選手の金メダル獲得の瞬間は、会場にいました。ソウル五輪での敗退、左ひざの負傷など、すべてを逆転しての金メダルでした。表彰式で日の丸が揚がり、君が代が流れると、古賀選手が泣いていた。生まれて初めて、僕の胸に愛国心が芽生えた。「君が代って、なんて美しい曲なんだ」と思いました。ただし、会場で古賀選手をインタビューしているはずなんですけど、一切覚えていない。目の前で起こったこと以上の感動はないんですね。それが、僕が完全描写を目指す種になったのだと思います。

 この春から「ニュースワイドSAKIDORI」(月~金曜日午後3時30分)のキャスターを任せていただいてます。さまざまなニュースの現場にも足を運んでいます。東京五輪はテレビサイズに合わせて、矮小(わいしょう)化して欲しくないですね。鉄人レースであるはずのトライアスロンに、視聴率がいいからと、短時間で終わる混合リレーの採用を目指したり、野球の7回制が提案されたりと、本来の魅力とはまったく別物になった競技が東京で行われるのは嫌ですね。できるなら、本物を完全描写したい。はい。キャスターとともに、実況もやってみたいと思っています。

(2017年6月21日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。