「海の神」から「水上の女神」へ―。女子ボートレーサーを紹介する「ビューティフル・ボートレース」。今回は倉持莉々(22=東京)です。高校時代は水球日本代表、海の神を意味する「ポセイドンジャパン」に選出され、ロンドン五輪予選にも出場した。水中から水上へ戦いの舞台を移して、ただいま奮闘中。プライベートでは「彼氏募集中」のキュートな女子。そんな素顔に迫ります。

水球からボートレーサーへ華麗なる転身を遂げた倉持莉々
水球からボートレーサーへ華麗なる転身を遂げた倉持莉々

 ―水球はいつから

 倉持莉々 小学校5年からです。お兄ちゃんがやっていて、最初私はシンクロ始めたんですけど、ちょっと自分に合わなくて。で、隣のコースで水球を練習していたので。シンクロは静かにしていないと怒られるような感じ。水球は真逆。自分は球技が大好きで、水泳も幼稚園からやっていた。

 ―水中の格闘技

 倉持 水面下でつねりあいです。蹴ったり、破られたり。高校は水球で行きました。小・中・高と水球をやった。中学校で全国制覇。高校は全部優勝。ジュニアオリンピックカップが年に2回あった。高2で日本代表に選ばれて、ロンドン五輪予選に出場したけど、五輪には出られなかった。ワールドリーグにも出ました。水球日本代表の愛称はポセイドンジャパンです。

日本代表にまで上り詰めた水球時代の勇姿
日本代表にまで上り詰めた水球時代の勇姿

 ―練習は過酷だった

 倉持 ごはん以外はずっと水の中でした。高校時代は朝練して、授業受けて、また夜まで水球づけ。で、寮に帰る。ちなみに、転覆しても自分で泳いで帰れます(笑い)。一日中ずっと泳いでいられますよ。

 ―なぜレーサーに

 倉持 将来の夢はボートレーサーって小学校の時から決めていた。お父さんと戸田に見にいって。お父さんは私をボートレーサーにさせたかった。家族全員がやれやれって。バランス感覚がいいから向いてるって言われてその気になった。

住之江ボートで2Mを軽快にターン
住之江ボートで2Mを軽快にターン

 ―レーサーになって良かったか

 倉持 本当にいい仕事だと思う。夢がある。努力した分、結果として、収入として、達成感として自分に返ってくる。水球が役立っている? 水が怖くないのはいいこと。忍耐力も水球で培った部分はある。

 ―ボートレースの魅力とは

 倉持 本場で見るのとテレビで見るのとでは全然、違う。直接見ないと感じられないものはある。私も初めて生で見た時、テレビとは違った。迫力もあるし、スピードも、水しぶきとかも格好良く見えた。テレビじゃ見えない部分がたくさんある。見た時に「なりたい」って思った。

 ―オフの過ごし方は

 倉持 基本的にずっとジムにいます。週3で泳ぐ。ランニングとキックボクシングも週3ぐらい。脂肪を燃やすための有酸素運動。水球時代は食べたくなくても食べなきゃいけない。今は食べたくても食べられない。真逆ですね。永遠にダイエットですよ(笑い)。

ダイエットを気にしながらも…スイーツを手に笑顔
ダイエットを気にしながらも…スイーツを手に笑顔

 ―夢は

 倉持 親にめっちゃ大きな二世帯住宅を建ててあげたい。中学のころから決めてる。ばりばり稼げるようになりたい。選手と結婚したいと思ってます。お互いに仕事をしながら、私の方が稼ぎたい。彼氏募集中です! 書いといてください(笑い)。

(次回は12月8日更新予定)


 ◆倉持莉々(くらもち・りり)1993年(平5)10月1日、茨城県生まれ。114期生として、14年5月に平和島タイトル戦でデビュー。初1着は15年9月の住之江オールレディース。高校2年で水球日本代表に選出された。167センチ、53キロ。血液型O。