2017年5月に始まったこのコラムも今回で最終回。ラストを飾るのは…そうです! 石川真二選手(50=福岡)の登場です。

ボートレーサーを目指したのは、高校3年生の時。それまでバスケットボール部のキャプテンをしていた真二少年が“何か人と違った自分の身体能力をいかせる仕事はないか”と考えた時に、担任の先生が「こんなのもあるぞ」とボートレーサー募集の資料を渡してくれたのでした。

もともとボートレース好きだったお父さんも喜んで賛成してくれ、お母さんも「自分のやりたい道があるんなら」と背中を押してくれたと言います。

石川選手 ただ、当時は、本栖(研修所、山梨県本栖湖に01年2月まであった選手養成所)での最終試験まで進んで、そこで落ちたらその後は2度と受験できなかったんだよね。それを知ったのが、東京から本栖に向かうバスの中だったから「えっ? そうなの? どうしよう」と思って。

そう言って、ある昔話をしてくれました。

時はさらにさかのぼって、真二君が5歳の時のこと。大好きなおじいちゃんのお見舞いに行った真二君は、そこで「船が欲しい」とおねだりをします。「よーし、退院したら買っちゃろう」と快諾してくれたおじいちゃんでしたが、残念ながらそのままお星様になってしまいました。

石川選手 でね、本栖の試験で一番問題だったのが、柔軟性を見る試験だったんだけど、その時にふと、その時のおじいちゃんとのやり取りを思い出して「おじいちゃん、お願い!」って心の中で言ったら、その瞬間だけ手が届いて背中で握手ができたんだよねぇ。ほんと、その1度きりだったけど。

石川真二選手の祖父・熊夫さん(左)と、4歳の頃の真二君
石川真二選手の祖父・熊夫さん(左)と、4歳の頃の真二君

と、天国のおじいちゃんの力も借りて、舟に乗るためのステップを1つクリアした真二少年でしたが、本栖での成績は勝率4.6というかなり下の方。だからこそ、デビューした時の「同期には負けたくない」という気持ちはとても強く、毎日練習に行って基本の技術を磨くのはもちろんのこと、救助艇の上から生のレースが1日中見られる“掃海艇のバイト”もなるべく多く入れて、まずは外から勝てる努力や研究を重ねていきました。

こうして、初優出で初優勝を飾ったのは1993年(平成5)の3月(蒲郡)。デビューから2年11カ月目のことでした。

石川選手 この時もね。得点トップの1号艇で、6コースに出てのまくり差し。だからね、もとはアウト屋なの! ニコニコしながら、今では想像もつかない話をしてくれる石川選手。その年、無事にA級にも上がり、3回の優勝を飾って「平成5年東海地区最優秀新人賞」を受賞しました。

記念レースにも多く斡旋されるようになり、そのまま順調にやっていけると思っていた矢先に発症したのが、ギランバレー症候群という10万人に1~2人の神経系の病気でした。

石川選手 最初は、宿舎で朝起きたら手足が痺れてたんだけど、もともと腰椎が人より1つ多くて、高校の時から脊椎分離症って診断されてたから、その影響で足が痺れたのかなと思ってたんだよね。だけど、最終日には腰が上がらなくなってモンキーもできなくなるくらいの状態だったから、これは絶対おかしいと思って病院に行ったら「ギランバレー症候群」って言われて、即、緊急入院! 20年前は今以上に分からないことが多い病気だったし、僕の場合はいろんな治療を続けたけど、なかなか回復しなかったから、お医者さんには「治っても、車いすは覚悟しといて下さい」って言われて…でも、その時は全然、実感がわかなかった。

--実感がわいてきたのは?

石川選手 入院中にいろんな選手がお見舞いに来てくれた時かな。「いいなぁ、この人たちともう一緒に走ることはないんだなぁ」って。でも、すでにレースどころか、日常生活もどうなるか分からないくらいの諦め状態だったから「あー、もう早くレースしたいのにぃ」とか、治らないことにストレスを感じなかったんだよね。逆に、それが良かったのかもしれないけど(笑) その後、1カ月くらいで歩行器なしで歩けるようにはなった。担当の先生に「奇跡!」と言われるほどの回復力を見せて無事に退院した後も、一人でリハビリを続けた石川選手。発症から4カ月でレースに復帰することができたものの、最初のうちはやはり6着を並べてしまったといいます。

石川選手 最初は「やっぱり元通りには戻らないのかなぁ」と思ったんだけど、復帰してから半年以上過ぎた福岡のレースで、2コーナーで全速のツケマイが決まった時に「あ、やれる!」と思ったんだよね。で、そっから本気でA1復帰をより強く意識してやっていったら、1年後には復帰できたんだけど、その後しばらくしたら、またA2になっちゃって…。しかも普通に成績で。

--理由は? 病気がまだ完全には治ってなかったとか?

石川選手 手の痺れは今でもまだ残ってるし、一生付き合っていかなきゃいけないもので完治はしてないんだけど、その時は、完全に気持ちの問題! ほんと今以上にダメダメ君だったから、病気になって、走れないのを経験して有難さが分かったはずなのに…それが走れる状態に戻って、やっぱこうA1にも復活できた! みたいになったら、気が緩んだんだろうね。でも、その時にかわいがってた後輩が、レース中に亡くなる事故があって…何て言うんだろう…自分は運良くまた走れるようにはなったけど…そこで、走りたいと思っても、もう2度と走れない選手のことを考えたら「そういう思いを普通の人より分かっていたはずなのに、こんな状態(成績)でいいのか」って思い直した。そっからだよね。「どんな状態でも走れる限り走ろう」「走らせていただいてる」「絶対に走れる限り帰らないし、自分の中でレースにランクを付けずに、1走1走一生懸命、優勝戦だろうが、一般戦だろうが同じ気持ちで大事に走ろう」って本当に変わったのは。

--そこからイン屋に変わったということ?

石川選手 うん。じゃぁ勝てる方法は? って考えて「普通じゃ、通用せんのやったら、通用するところを極めていったらいいのかな」って。そこから自分の得意な戦法を磨いていこうって思ったし、小心者やからね(笑)「嫌われたくない」っていうのもあって、イン屋でも『前付け』じゃなくて、『ピット離れ』に本気でこだわるようになった。

レースはもちろん、YouTuberとしても活躍する石川真二選手
レースはもちろん、YouTuberとしても活躍する石川真二選手

--去年からYouTubeとかSNSを始めて「前付けじゃないんです。ピット離れの石川です!」っていうのは、多くの方に伝わっていってるんじゃない?

石川選手 ほんと有難いよねぇ。そういうのを見て「(戦法を)知ってたから予想できて、舟券取ったよ」って言われると、ほんとにうれしい! 僕の場合は、何が何でも前付けで取るっていうんじゃなくて、ピット離れで内を取りたいタイプなんだけど、なるべく他の足を落とさずにピット離れを来させるって、実は結構大変なんだよねぇ。でも、たくさんの人に自分の理想とするレースを見てもらって、知らない人にはびっくりしてもらいたいし、5、6号艇の時でも自分のピット離れでインとか内の方を取って勝って「わぁ、すごかったぁ、面白かったぁ」って言われるのは最高にうれしいじゃんね。選手冥利に尽きるというか。

--理想のレースっていうのは?

石川選手 一番はね、あの下関のパーフェクト優勝(18年8月)の時みたいに、ピット離れも伸びも来させて、インからまくられないスタート行って1111…っていうのが理想なんだけど、そこが来てない時にどっちを取るかっていうのは最近すごく悩む。

--“そこが”っていうのは?

石川選手 ピット離れって、よっぽどいいエンジンじゃない限り、どうしても伸びは落ちてしまうんだよね。もちろん“悪いエンジンの時でも、いかに伸びを落とさずにピット離れを来させるか”が技術だし、そこを極めたいんだけど、いいエンジンじゃなかったらその両立ってすごーく難しい。もちろん、基本的にまずはピット離れを求める作業をするんだけど、どうしてもそこが来ない時にどうするか。それをなくしちゃうと自分の個性がなくなる訳で、お客さんにも“ピット離れ=石川真二”を楽しんでもらってるのが分かるからこそ、自分からあきらめていいのか? と悩むし、でも、それにこだわり過ぎて成績が悪いのも舟券を背負っている以上絶対ダメだと思うし。「応援して下さるファンの方に喜んでもらうために」と「勝つために」は永遠のテーマだなぁって最近すごく悩むし考える。けど、常にひとつでも上を! って言う気持ちは絶対に忘れずに、これからもやっていきたいと思うよね。まだまだ、いろんなキャリアハイを作っていきたい。そういう気持ちでやっていけばさぁ、どんどん成長していくわけだからいつかは大きいこともできそうだしね。

石川真二選手の進化、まだまだ楽しみにしたいと思います。

 
 

2014年の全国24場制覇を達成した後に結婚を申し込まれた際、「なぜ、私?」と思わず尋ねた私に返ってきたのは「こんなふうに本気で叱ってくれる人はいないし、一緒にいたらSG取れそうだから」という答えでした。運と勘と人のご縁にすごく恵まれている私と彼の技術で、その目標達成に進んでいけたら「それは面白そう」と思ったものの、ボートレーサーと結婚するということは、大好きな野球の仕事を辞める覚悟も必要と考え、半年かけてじっくり悩んだ上で、もう1つだけ「なぜ、SGを取りたいの?」と尋ねると「もちろん、選手としてトップを取りたいっていうのもあるけど、SGを取ってお祝いのパーティーができたら、できる限りファンの方にも来てもらって直接、お礼が言いたいから」との返事。それを聞いた瞬間に、安心して「よろしくお願いします」と言えたのでした。

いつか、皆さんに直接、お礼が言える日を楽しみにしています。

 
 

現在、日刊スポーツさんの派遣講師NAVIのメンバーにもなっている石川真二選手。もちろん、MCは私が務めさせて頂きます。

お問い合わせはこちらまで。

https://koushihaken.nikkansports.com/