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G2 ウィナーズカップ

ヤマコウコラム特別編

単騎原田研太朗、中団取ればチャンス!

ヤマコウは単騎原田研太朗にチャンスありとみる
ヤマコウは単騎原田研太朗にチャンスありとみる

 準決11Rで深谷知広のカマシを合わせた、吉田拓矢の先行にすごみを感じた。彼や新山響平に触発されて若手選手の意識も変わり始めている。ここに出場していない若い選手も、この大会は見るべきだと思う。

 決勝で取り上げるのは原田研太朗。13年のGⅢ初決勝進出(高松)は、先行で戦ったが深谷に一蹴された。その後着実に強くなっていったが、まくりを覚えた頃から1着か9着のイメージとなっていく。準決までは連勝で勝ち上がるが、そこからは大敗。先行する組み立てを忘れた結果だった。

 しかし、その意識が変わってきたのが昨年夏ごろだと思う。運任せのレースから、運をつかむ走りになってきた。単騎となっても、緩んだらカマしていく姿勢もその1つ。最も顕著に表れたのが、前場所・玉野GⅢでの吉田との対戦だった。2日目優秀で、カマせず主導権を取られる。そして迎えた決勝。「カマせなかったから今度はまくりで」と考えるか、もう1度同じ戦い方で挑むのか、私は注目した。

 結果は、全く同じ戦法で吉田と勝負した。一発屋としての研太朗の面影は消え去った瞬間だった。最終3角でやっとたたいたが、結果は村上義弘の優勝。しかし、負けても得たものは大きかったと思う。

 決勝は、すでに今年GⅠで優勝している平原康多の番手を回る武田豊樹が一番有利だ。しかし、稲垣裕之も近畿の選手が盛り立ててくれた結果であることを十分知っている。必ず仕掛けるはずだ。ここに原田が勝つキーポイントがある。足を使ってでも、中団を取るべきだ。それなら優勝のチャンスがある。(日刊スポーツ評論家)

金子貴志「折れない心」強敵平原相手に立ち向かう

ヤマコウ(左)から取材を受ける金子貴志
ヤマコウ(左)から取材を受ける金子貴志

 毘沙門天賞の平原康多の走りはしびれた。竹内雄作、渡辺一成のまくりを好ブロック。吉田拓矢のかかりが良かったとはいえ、最後は山田庸平のコースまでふさいだ。そして4角からの差し足。後続をぐんぐん引き離すスピードに思わず引き込まれた。初日はレース勘の悪さが目立ったが、調子は問題なさそうだ。

 準決12Rでは、その平原に竹内―金子貴志が挑む。司令塔となる金子の役割は大きい。今の彼の心境を聞いてみた。

 ──今の自分は自力で走っていた頃をどう評価する?

 金子 先行では勝てなかったので、まくりに構えるレースが多かったと思います。競輪はメンタルが占める割合が非常に大きいので、大敗した後、どう気持ちを立て直せるかが大事。トップの選手は紙一重のところで戦っているので、少し練習の調子が悪いと後ろ向きな気持ちになってしまう。自分が立て直せたのは、「少しでも強くなりたい」という気持ちが強かったので練習も集中してできたからだと思います。そうすると、考えるようになり、内容も変わってきました。深谷(知広)のように初めから考えて練習できたら、もっと効率よく強くなったと思います。

 金子は、トップスピードがあり、なおかつダッシュも優れていたので、私たち後ろに付く選手は大変だった。当時、金子をイメージしていつも練習に取り組んでいたことを思い出す。

 金子 今の競輪はレース形態が変わってきた。若い選手はごまかしがきかないから大変だと思います。イメージとしてはフルもがきで2周先行する感じです。緩むところも少なくなった。ギア規制後、その傾向はさらに強くなったと思います。

 金子が自力で戦っていた時期、タイトルに一番近づいた瞬間があった。05年の名古屋オールスターである。吉岡稔真(引退)との2分戦は、神山雄一郎に差されて惜しくも準優勝に終わった。私は、素直に先行するのではなく、もっと引き付けて駆ければ良かったのにと思った。と同時に、勝負に対して甘いなとも思った。

 金子 あのとき、吉岡さんのグランドスラムも懸かっていたし、いつ来るか、と余裕がありませんでした。今なら絶対引き付けて駆けると思います(笑い)。

 その後、金子はタイトル戦線から遠ざかっていく。それでも折れない心を持ち続けたのは、深谷の存在が大きかったと言う。

 金子 深谷が出てきたことで練習環境がガラッと変わりました。彼はどこにでも出稽古に行って刺激をもらって帰ってくる。先日も競輪学校に行ってバイク誘導をしてもらい、良かった頃の感触を思い出したと言っていました。知らない間にぬるま湯につかっている自分に気づきました。

 その深谷の刺激を受けて金子は13年寬仁親王牌で優勝。飯嶋則之と競り合うという障害を乗り越えて…。

 金子 深谷が僕に気遣って戦ってくれたことが周回中に伝わってきた。自分を奮い立たせることができました。その結果、優勝があった。その反対に15年の寬仁親王牌の決勝は、脇本雄太との連結を離し7着でした。その後ものすごく後悔したことを覚えています。

 中部の先輩として、金子に厳しいことを言ってきたのは事実だ。それでも、金子はふてくされることなく競輪に取り組んできた。そんな金子は、こう締めくくった。

 金子 逃げない心が大事だとそのときに思いました。とやかく言うタイプではないですが、後輩たちには僕のレースを見て感じてほしいと思います。

 平原相手に、ラインという総合力で勝負する準決12R。竹内に乗って決勝入りを目指す。(日刊スポーツ評論家)

晴智「南関の絆」競りを極めた男が語る地区への思い

渡辺晴智(右)はヤマコウに胸の内を語る(撮影・宮崎幸一)
渡辺晴智(右)はヤマコウに胸の内を語る(撮影・宮崎幸一)

 初日はウィナーズカップらしく、若い選手の先行が目に付いた。12Rは先行にこだわる走りをした新山響平の3番手から竹内雄作がまくって1着を取った。本人は「たまたま、あの位置が取れたからです」と謙遜するが、これまでの新山との戦いがあったから、あのポジションが取れた。胸を張っていい1着だと思う。若手の中では新山と吉田拓矢が頭ひとつ抜けている。その存在を脅かす若手選手の出現を期待したい。その一方で、飛び抜けた存在がいなくても、今年に入りラインの総合力で勝負しているのが南関勢だ。そのキーマンとなる渡辺晴智に今、思うことを聞いてみた。

 ──ウィナーズカップには若手自力型が多いが、晴智が売り出した手段は競りだった。若いときにマークにこだわった理由を教えてほしい。

 渡辺 当時、南関勢の層は非常に厚かった。その中で、どう渡辺晴智を売り出し、先輩たちに認識してもらえるかどうかで始めました。

 彼が売り出した時期は、高木隆弘をはじめ並いるマーク選手が南関にひしめき合っていた。

 渡辺 今はマークでのし上がることが非常に難しい時代。その中で、マークの渋さを語れる選手が少なくなってきたことは寂しいことです。でも、そのことをやってきたからこそ、今の自分がある。点数順で並ぶ競輪には、ファンや選手が盛り上がる要素は少ないと思います。点数がすべてと考える選手ほど、気持ちが弱い。僕が理想とする競輪は、先行1車のレースを、無風で番手を回って優勝することです。周りから「恵まれた」と思ってもらってもいい。一緒に走る選手に強さを分かってもらえればいいですから。

 ──晴智には神がかり的なレースがある。例えば優勝した08年静岡日本選手権。まくった山崎芳仁の番手から、インコースを突いてきた選手に当たりにいって押してもらい、自ら優勝した。それを生む力はどこにあるか?

 渡辺 まずは1つのことを極めることだと思います。レースで勉強して次に生かす。中途半端なことを繰り返していると、結局は自分の身にならないからです。

 彼は、競りを売りにして自分の位置に徹底的にこだわり、レースを積み重ねてきた。しかし今は、格も点数も下の選手に前を回すことがある。今の立ち位置を聞いてみると…。

 渡辺 普段、自分の前で頑張ってくれている選手に前を回したくなるのが本音。成功する選手もいれば、失敗する選手もいる。結果で判断はしません。次、一緒に走るときに「もう1回頑張ります」と言われたら前を回します。「失敗したから3番手でいいです」という選手には絶対前を回さないです。

 結果ではない。過程を見ていると言う。晴智も競り勝つレースもあれば、そうでないときもある。若い選手には参考になる話だと思う。

 ──今の若手に伝えたいことは?

 渡辺 楽して勝ちたいという気持ちを捨てること。自分で考えて経験を積み重ねること。まねはしょせんその人を超えられない。その先に目標ができたのなら、そこに向かっていく気持ちも育まれると思います。

 そして最後にこう付け加えた。

 渡辺 まず、南関の誰かにGⅠを取ってもらうことが目標。どの選手もそれを喜ぶ地区にしたいです。

 2予7Rは、石井秀治を目標にして、深谷知広、北津留翼と対戦する。深谷を後方に置くことができれば晴智のチャンスだ。(日刊スポーツ評論家)

若手ホープ吉田拓の壁になれ 稲垣が経験の差見せる

G2第1回ウィナーズカップ 山口幸二氏(左)から取材を受ける稲垣裕之
G2第1回ウィナーズカップ 山口幸二氏(左)から取材を受ける稲垣裕之

 選考基準が1着の多い選手ということで、若い自力選手が多くなった。この中から次の競輪界を担う選手は出てくるのか。G1常連のベテラン勢は若手をどう見ているのか。新しく始まるこのシリーズ。各地区の核となる選手に、今に至るまでの心境を聞いてみた。

 初回は稲垣裕之を取り上げる。昨年悲願のG1王者となり2年連続GP出場を果たした。今年に入っても全て決勝進出。高いレベルで安定している。

 ──今回から始まるウィナーズカップ、今の立場から見ると若いときはどんな選手だった?

 稲垣 今どきの若い選手と同じでした。自転車競技に興味があったので、スピードばかり追求していました。いろいろ経験して、京都の先輩たちの言っている意味がやっと分かってきた。

 ──いつから話が素直に入るようになってきた?

 稲垣 骨盤骨折をした10年(8月の富山G3)がきっかけでした。その頃は、自分自身が中だるみのときだと認識していました。

 私は現役時代、稲垣と走るときはレースの組み立てがしやすかった。それはラインで走るということではなく、別ラインのときの方が稲垣の走りが読めたからだ。そんなことを思っていると、稲垣はひと呼吸置いて、はにかんで続けた。

 稲垣 少しいい話になりますが、大げさでなく転んだ瞬間「これを望んでいた」とバンクで思いました。競輪に向き合うためには何か刺激が欲しかったのだと思います。入院中に考える時間ができたので、いろいろ考えることができました。我々はレースを走ることが仕事。ちゃんとした仕事とは車券に貢献するということ。しかし、それだけじゃない部分でも表現しなければいけない。負けても納得してもらうことは非常に大事だと思う。

 あの骨折以降、稲垣には隙を見せることができなくなった。深谷知広の番手を回ったとき、稲垣にさばかれたこともあった。その積み重ねで今の稲垣がある。

 ──若手選手が多いウィナーズカップ。これからの選手に伝えたいことは?

 稲垣 何かにこだわってレースに挑んでほしいと思う。戦法でも何でもいい。こだわったレースをすれば、言い方は良くないかもしれないが、今度は自分に返ってくる。頑張った選手には人情が生まれ、後押ししてくれる。そういった選手になってほしいと思う。

 こう締めくくった稲垣も、日々、自分の道を模索してここまで来た選手だ。若手自力選手の葛藤も十分理解している。練習の成果がすぐ出るなら誰でも練習する。成果が出るかどうか分からないから、練習は苦しいのだ。

 この特選10Rの若手自力選手は吉田拓矢。今後の競輪界を背負って立つ存在なのはみな知っている。これからは武田豊樹や平原康多と走る機会も多くなってくるだろう。その上で、SS班の稲垣には吉田の壁として大きく立ちはだかってほしいと思う。

 吉田に挑むのは河端朋之。松岡貴久、松坂洋平と中団を狙ってくる選手はいるが、経験の差を生かして稲垣が最後はまくる。(日刊スポーツ評論家)

KEIRINグランプリ2度制覇

ヤメコウが聞く!! ◆山口幸二(やまぐち・こうじ)、1968年(昭43)7月29日、岐阜・大垣市生まれ。大垣西高卒。競輪学校62期を在校6位で卒業し、88年9月にデビュー。98年一宮オールスターでG1初制覇。同年と11年のKEIRINグランプリを制覇。通算成績は2040戦397勝。通算優勝は43回(GP2回、G1・1回、G3・13回)。通算獲得賞金は13億7058万5354円。日刊スポーツ評論家として活躍。



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