オッギーのOh!Olympic
荻島弘一編集委員が日々の話題、トピックスを取り上げる社会派コラム。これまでの取 材経験を絡め、批評や感じたことを鋭く切り込む。

◆荻島弘一(おぎしま・ひろかず)1960年(昭35)9月22日、東京都生まれ。84年に入社し、整理部を経てスポーツ部。五輪、サッカー などを取材し、96年からデスクとなる。出版社編集長を経て、05年に編集委員として現場の取材に戻る。
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メダルなしでも…真央の笑顔が見たかった

 我々は何を浅田真央に期待していたのだろう。バンクーバー五輪で獲得できなかった金メダル? トリプルアクセルの成功? どれも違うような気がする。日本人が1番期待したのは、応援するファンが1番見たかったかのは、心の底からの笑顔。フリーを滑り終えた後「自分の中で最高の演技ができた」と話した表情を見ながら、そう思った。

 05年冬、浅田はGPファイナルで優勝し、世界の頂点に立った。しかし、わずか87日年齢制限に足りず06年トリノ五輪出場資格はなかった。「真央ちゃんをトリノへ」の声が上がった。「バンクーバーに出るから大丈夫です」と笑顔で話す健気な15歳に、誰もが心を奪われた。「真央ちゃん」は冬の人気者になった。

 あれから8年。山があって、谷もあった。五輪初出場の10年バンクーバー大会では、ライバル金妍児(韓国)に敗れて銀メダル。涙で「悔しいです…」と声を振り絞った。その後、不振にもおちいった。それでも頑張る浅田の姿に、ファンは感情移入した。15歳で見せた心からの笑顔が再び五輪の舞台で見られることを願った。ソチで「真央ちゃん物語」がハッピーエンドとなることを祈った。

 SP16位の後、インタビューに答える表情を見て驚いた。ショックが、感情を奪ったようだった。口をついた「期待に応えられなくて、すみません」という言葉が痛かった。たぶん、我々は笑顔が見たかっただけだ。それが、いつか「金メダルを」に変わってしまった。それが、浅田を苦しめたのかもしれない。

 最高の演技をしたフリーの得点は、参加選手中3番目だった。仮にSPでミスをせず、自己ベストの得点をマークしても、金メダルには届かなかった。銀メダルも難しかった。それが、今大会で審判が下した浅田への「評価」だった。

 いくら採点方法を複雑にしても、採点競技である限り普遍的な順位付けは難しい。浅田は技術点のうちの基礎点が誰よりも高いが、出来栄え点(GOE)を加えた得点はソトニコワ(ロシア)の方が高かった。演技構成点(演技表現、音楽の解釈など)は、メダリスト3人に劣っていた。最高の演技をしても、審判の採点は最高ではなかった。

 だからこそ、メダルは関係なかった。自分の最高の演技ができるかどうか、それが重要だった。そして、力を出し切っての笑顔が。もちろん、金メダルなら最高かもしれないが、メダル以上に見たかったのは心からの笑顔なのだから。

 仮にメダルがとれても、トリプルアクセルを失敗したら、浅田はどう思っただろう。大技をやらずに、リスクを回避して高得点を狙うより、こだわり続けたトリプルアクセルに挑む。それが浅田らしい。結局、順位は審判の主観によるところもある。ならば、それ以上に自分の思う演技をやりきった方がいい。モーグルの上村愛子も同じだった。

 採点や順位ではなく、最高の自分を五輪の場で出すこと。そういう意味で、浅田のソチ五輪はハッピーエンドだったと信じたい。メダルがなくてもいい、笑顔があればいい。それが日本中が望んだ「真央ちゃんのソチ五輪」なのだと思う。




日本のメダル数

金メダル
1
銀メダル
4
銅メダル
3

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