[ 2014年2月26日10時52分

 紙面から ]北海道に戻った吉田は笑顔のまま迎えのバスに急ぐ(撮影・中島洋尚)

 ソチ五輪に出場した日本選手団が25日に帰国し、カーリング女子の北海道銀行も、旗手を務めた小笠原歩(35)ら4人が北海道に戻った。当初はリザーブとして予定されていたが、ソチで9試合中8試合に出場した吉田知那美(22)は、日本勢過去最高タイの5位入賞という結果に納得の笑顔で帰ってきた。チームは3月2日からの日本選手権(長野・軽井沢アイスパーク)に出場を予定。同大会の初優勝で、平昌五輪への第1歩を刻む。

 新千歳空港の到着口で知り合いの顔を見つけると、大きく手を振り、「ワーッ」と大声。バスに乗る前には笑顔のまま抱きついた。世界最高峰の戦いを終えてきたばかりの吉田は「おいしい日本のチョコレートが食べたい」と、普通の女の子に戻って表情を崩した。

 乗り越えたことの数だけ、スマイルが増えた。昨年11月、五輪での「フィフス(5番目=リザーブ)」役が決まった。翌月の五輪最終予選は、出番がなし。だが、ソチではインフルエンザにかかった小野寺佳歩(22=中京大)の代役でセカンドを任された。「リードの練習しかしていなかったので、突然のセカンドで驚いた」という。

 そんな時、開き直れる自分がいた。高校3年の時、地元のライバルチームは4人で札幌国際大に進学。中京大に陸上で進学した小野寺を含め、自分たちのチームはメンバーが散り散りになった。1人でカナダに留学し、傷心のままミキ・フジ・ロイコーチ(72)の元でホームステイ。その後、小笠原に誘われ、当時は先が見えなかった新チームの北海道銀行に入った。

 職場の広報CSR室では、社内ビデオの制作を任された。ビデオカメラ片手に社内を歩き回り、勤務後は、すぐにチーム練習に駆けつけた。結果的にはライバルよりも早く夢舞台に立った。「今までの人生、すべて逆境ですから」。戸惑いばかりの社会人生活、実業団チームという環境が、実は吉田を大きく成長させていた。

 今日26日から札幌で練習を再開。28日に長野入りし、日本選手権に備える。優勝なら11月のアジアパシフィック選手権代表となり、来年の世界選手権が見えてくる。大黒柱の小笠原は「少々疲れたので、若手にお任せするかも」と話したが、それは期待の裏返し。初の五輪で、喜びと自信、そして悔しさを味わった吉田は「シーズンを締めくくる大会になるので、いい試合を見せたい」と意気込んだ。【中島洋尚】