オッギーのOh!Olympic
荻島弘一編集委員が日々の話題、トピックスを取り上げる社会派コラム。これまでの取 材経験を絡め、批評や感じたことを鋭く切り込む。

◆荻島弘一(おぎしま・ひろかず)1960年(昭35)9月22日、東京都生まれ。84年に入社し、整理部を経てスポーツ部。五輪、サッカー などを取材し、96年からデスクとなる。出版社編集長を経て、05年に編集委員として現場の取材に戻る。
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ヨナ騒動…判定ミスや誤審もスポーツの一部

 フィギュア女子の採点について、韓国スケート連盟が国際スケート連盟(ISU)に調査を要請した。ショートプログラム(SP)でトップだった金妍児(韓国)がフリーでソトニコワ(ロシア)に逆転されたことを問題視。「金妍児がソトニコワより点数が低いのはおかしい」と、韓国国内では再審査を求める署名運動も行われている。

 フィギュアの採点が問題になるのは、今回に限ったことではない。冬季五輪の「恒例行事」だ。得点を抑えられた選手サイド(本人ではなく主に周囲)からは「採点がおかしい」という声があがる。ISUは透明化のために04年から新採点システムを導入したが、問題は変わらずに起こる。

 冬季競技の採点には、物議をかもすものが少なくない。今回、日本でもモーグル上村愛子の得点や、ジャンプ高梨沙羅の得点が話題になった。基本的になじみのない競技だけに、採点方法、順位決定方法も広く知られていない。多くは競技経験もないから「見た目」と「得点」のギャップに首をひねることになる。

 もっとも五輪での採点や判定問題は、夏季大会でも同じ。12年ロンドン五輪柔道では、主審の判定がジュリーの意見で覆る「事件」が起きたし、体操団体では日本の抗議で4位が銀メダルに変わった。世界的に見れば、事例はこれだけにとどまらないはず。世界が注目するサッカーW杯でも、ゴールやPKなどの判定で紛糾するのが常だ。

 今大会中に「採点競技は五輪から外すべきだ」という声も聞いた。「タイムとか距離とか、誰にでも分かるもので争えばいい」と。さらに「人間の主観が入る競技は不公平だ」という意見もある。その通りだとは思うけれど、それもスポーツの一部なのだ。

 国際オリンピック委員会(IOC)も、五輪のたびに起こる審判問題に頭をかかえる。元IOC委員で実施競技を決めるプログラム委員会の委員だった岡野俊一郎氏は「ヒューマンエラー(人的ミス)が介在する競技をなくそうという意見もある」と明かしたことがある。「でも、できる競技がなくなるんだよね」。予想通りのオチだった。

 極論すれば「判定ミスや誤審もスポーツのうち」なのだ。もちろん、極力減らすために各競技の国際連盟や各審判員たちは努力しなければならない。場合によってはシステムそのものを変える必要もある。不正があってはならないのも、当然だ。ただ、審判の採点や判定は尊重すべきだ。審判がいなければ、スポーツそのものが成り立たない。

 金妍児は「もう終わったこと。(採点を)受け入れて幸せを感じてほしい」と訴えた。「いい演技をしたから満足している」とも。もちろん、採点に満足しているかどうかは分からない。ただ、それもフィギュアスケートであり、スポーツなのだ。大切なのは、審判をリスペクトすること。それを忘れたら、スポーツがスポーツでなくなる。




日本のメダル数

金メダル
1
銀メダル
4
銅メダル
3

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