誰だって、自分の子どもはかわいくて仕方がない。スポーツをしていれば、もっとうまくなって欲しい-。勝って欲しい-。そう思うのは自然なことだろう。

 サッカー担当時代に話を聞いた元日本代表FW大久保嘉人(現東京)の母千里さんは、小学生の頃に息子が試合で点を決めなければ、お弁当を取り上げた。その理由を問うと「誰にも負けない、強い精神力を付けて欲しかった」と言った。

 同じく元日本代表MF松井大輔(現磐田)は鹿児島実高時代、実家のある京都に帰りたくて、少ない小遣いをコツコツためた。たまった金でチケットを買い、誰にも告げずに大阪行きの飛行機に乗った。突然、連絡を受けた父一雄さんは、迎えに行った伊丹空港の食堂で好きなものをたらふく食べさせると、息子に鹿児島行きのチケットを手渡した。「ここで帰ってきたら、一生、逃げるようになる」。練習がきついと弱音を吐く息子を、自宅に入れさせなかった。

 熊本空港CCで開催された女子ゴルフのKKT杯バンテリン・レディース最終日(4月16日)。初日から首位を守り続けた熊本市出身の上田桃子(30)は、最後の最後で崩れた。2打差をつけて迎えた最終18番で西山ゆかり(34)に追いつかれ、プレーオフ(PO)へ。勝負に出たPOでは、グリーンを狙った第2打を池に落とした。無難な戦略をとっていれば、結果は違ったかも知れない。熊本地震から1年。復興を目指す故郷で優勝したいという願いが、過度の重圧になっていた。

 いつまでも涙を流す上田のすぐそばにいた母八重子さんに、声をかけた。私が3月まではサッカー担当記者だったことを伝えると、八重子さんは「私はね。ボランチ(守備的MF)が大嫌い」と笑いながら言った。

 そしてこう続ける。

 「私は守るのが嫌い。だからね(POで)池に入った時に『よし、よくやった桃子!』って思ったんです。守りに入って負けたのなら、悔しくて仕方がない。でも、桃子は攻めに行って負けたんだから、後悔なんてない。これがオリンピックだったら、次の大会まで4年も待たないといけないでしょう。でも、ゴルフは1週間後にまた試合があるじゃない。桃子は1週間後の大会で、勝てばいいじゃない」

 母に涙はなかった。どこまでも明るく、荷物を片付けながら、そんな話をしてくれた。

 けれど、誰よりも娘に勝って欲しかったのは、まぎれもなく母だった。入れば優勝という18番のパーパットを外し、POに入った時のこと。いてもたってもいられなかったのだろう。ギャラリーから離れ、木立をさまようようにしていた八重子さんは、立っていることもままならない様子だった。親族の方に支えられる姿に、どうしても娘を勝たせたいという強い愛情を見た気がした。

 大久保の母千里さんや、松井の父一雄さんのように、幼少時代は八重子さんも上田を厳しく育てたと聞く。14年以来、しばらく遠ざかっているツアー優勝。上田と母が、うれし涙を流す日を、待っている。【益子浩一】

 ◆益子浩一(ましこ・こういち)1975年(昭50)4月18日、茨城県日立市生まれ。00年大阪本社入社。プロ野球阪神担当、サッカー担当、五輪担当などを経験。サッカーW杯は10年南アフリカ、14年ブラジル大会を取材。今年4月からゴルフ担当。