【金子真仁】西武栗山巧の本質はどこにある “最後の日”に選ぶ言葉とは

西武栗山巧外野手(42)が引退試合「8・30」を迎えます。プロ入りから西武ひと筋25年間、ここまで通算2151安打、その集大成の1日。どんな気持ちで迎えるのでしょうか。誰もが一度は体験したことのある“最後の日”は、間もなくやって来ます。

プロ野球

★栗山選手が語った主な内容

  • 「控えに回っても」の栗山巧 本人が語るその時々の自分像
  • 「インタビューが一番気をつかう」 影響力と慎重さの理由
  • 引退後の書籍でも「自信がない」 栗山巧が表現しきれない栗山巧

◆栗山巧(くりやま・たくみ)1983年(昭58)9月3日、兵庫県生まれ。育英から01年ドラフト4巡目で西武入団。04年9月24日近鉄戦で初出場。07年から外野のレギュラーに定着。08年はリーグ最多安打を放ち、チームの日本一に貢献。21年に球団生え抜きでは初の通算2000安打達成。ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞1度。昨季まで通算2312試合、2150安打、打率2割7分7厘、128本塁打、914打点、85盗塁。177センチ、85キロ。右投げ左打ち。

西武対ロッテ 左翼スタンドの西武ファンは一斉に「栗山巧」のボードを掲げる=2026年5月20日

西武対ロッテ 左翼スタンドの西武ファンは一斉に「栗山巧」のボードを掲げる=2026年5月20日

栗山の言うとおり 人は変わる

私は栗山巧を知らない。入団1年目、まだ大学4年生だった。03年春に日刊スポーツに入社後も、縁は全くなかった。ずっとただの「西武の栗山選手」のまま。通算2000本安打の時も記事をさらっと読んだとは思うけれど、正直、詳細は記憶にない。

西武新入団選手発表 前列は細川亨、後列左から中村剛也、竹内和也、栗山巧=2001年12月13日

西武新入団選手発表 前列は細川亨、後列左から中村剛也、竹内和也、栗山巧=2001年12月13日

西武対広島 10回裏西武1死一、二塁、サヨナラ安打を放った栗山巧はファンに手を振り応える=2005年5月29日

西武対広島 10回裏西武1死一、二塁、サヨナラ安打を放った栗山巧はファンに手を振り応える=2005年5月29日

たぶん、ファンの方々のほうが私の何十倍も栗山に詳しい。偶然の巡り合わせで引退に立ち合う私ができる仕事はなんだろうか。昨年の秋、決断を知ったその日から自問自答を少しずつ重ねてきた。

栗山巧とはどんな人なのだろう。栗山本人と私たちメディアが「栗山巧」という像を作ってきた、のだと思う。もしかしたら栗山本人も気づけていないかもしれない、この人の本質はどこにあるのだろう。

日本シリーズ第4戦 西武対巨人 1回裏西武無死二塁、栗山巧は右線適時二塁打を放つ=2008年11月5日

日本シリーズ第4戦 西武対巨人 1回裏西武無死二塁、栗山巧は右線適時二塁打を放つ=2008年11月5日

きっと、いろいろな栗山巧像がある。

「それぞれね」。そう、しみじみと話し始めた。

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。