いつまでも、いつまでも、練習場でボールを打ち続ける1人の選手がいた。

 傍らではイ・ミニョン、畑岡奈紗らが優勝争いを繰り広げ、復活をかける諸見里しのぶが、上位に食い込もうと奮闘していた。

 3月4日、沖縄県南城市にある琉球ゴルフ倶楽部。国内女子ツアーの開幕戦、ダイキン・オーキッド・レディースの決勝ラウンドが繰り広げられていた。

 練習場で1人、黙々とボールを打つ彼女は、決勝ラウンド(R)進出を逃していた。多くのプロは予選敗退すると、一度自宅へ戻る。そして気分転換してから、週明けに次のツアー会場へと向かう。

 だが、彼女は帰らなかった。高知に舞台を移したツアー第2戦のヨコハマタイヤ・プロギア・レディースも、予選落ち。沖縄の時と同じように、高知に残って練習を続け、そのまま第3戦の舞台となる大阪へ飛んだ。

 昨夏、2度目の挑戦でプロテストに合格した新人の田村亜矢(20=大東建託)だった。

 「ずっとホテル暮らしですね。せっかく練習できる環境があるので、練習をした方が自分のためになると思って。生まれ故郷の北海道に帰る時が、一番リラックスできるんですけどね。もう、だいぶ帰っていないですね」。

 メロンの産地で有名な北海道夕張郡栗山町出身。5人姉弟の4番目で生まれた。7歳で始めたゴルフはめきめき上達。小学校を卒業すると、プロを夢見て福島県の冨岡二中へ進んだ。

 もうすぐ、親元を離れて1年になろうとしていたあの日を、田村は忘れることができない。

 2011年3月11日。

 東日本大震災は、福島に甚大な被害をもたらした。その日は富岡二中の卒業式で、田村は寮にいたという。当時のことを尋ねると、しばらく言葉を詰まらせ、うつむいた。

 「心が苦しくなります」

 震災直後に起きた福島第一原発の事故により、同校のある福島県双葉郡富岡町は避難区域に指定された。荷物をまとめ、夜中に寮生と車で避難したのを覚えている。車の窓から見た福島の景色、まだ中学1年の少女が抱いていた胸が押しつぶされそうなほどの不安は、計り知れない。避難所生活を経て、田村は北海道の家族の元へと帰った。

 故郷の栗山中に転校し、高校から再び北海道を離れて宮城の名門・東北高へ。

 多くの人は、夢があっても、何かを理由や言い訳にして、諦めてしまうことが多いと思う。

 だが、彼女は違った。震災により、諦めてもおかしくなかった夢を、昨夏にプロテスト挑戦2度目でかなえた。臨床検査技師だった父文則さんは、仕事を辞めてまで支えてくれた。

 プロの世界は厳しく、新人として挑む今季は、開幕から2戦連続の予選落ち。そして、3月17日に大阪・茨木国際ゴルフ倶楽部であったTポイント・レディースでもまた、予選の壁を越えられなかった。苦悩する娘を心配してか、父は18ホールを一緒に回り、そっと木陰から見守っていた。

 「自分のミスを、自分でリカバリーできなかった。結果を出したいんですけれど、今は出せていないのが現実です。自分に何が足りなくて、どうしたらいいのか。しっかり考えてまた、練習をします」

 そう話す彼女の視線は、しっかりと前を向き、現実と向き合おうとしていた。そして、こう続けた。

 「震災からまだ会えていない友達もいます。私が結果を出して、もっともっと有名になれば、目にしてくれることもあると思う。なので、結果で元気にしたいですね」

 故郷北海道の春の訪れは、まだだろうか-。

 努力はうそをつかない。人知れず練習をした成果が、根となり、幹となり、蕾(つぼみ)となって、必ず花を咲かせる。

 もうすぐ桜の季節。いつの日か春が訪れ、田村が大輪の花を咲かせる日を、楽しみにしている。【益子浩一】