女子ゴルフでルーキーながら昨年、国内で2勝をあげ、現在賞金ランキングトップに立つ笹生優花(19=ICTSI)をインタビューする機会に恵まれた。日本人の父親とフィリピン人の母を持ち、幼少期からフィリピンや各国のジュニア大会で活躍してきた逸材。プロ入り後は日本で尾崎将司の指導も受けて飛躍を遂げたが、その尾崎と初対面した時のエピソードは、他の選手とは一風変わったものだった。

笹生は8歳でゴルフを始め、その時はフィリピンを拠点としていた。14歳でフィリピン女子ツアー優勝を果たすなど同国で過ごした時間も長く、尾崎についての知識も浅かった。笹生は「お父さんからすごい人とは聞いていたんですけど、顔とかもあまりわからなくて…。実際に知ったのはジャンボ邸(尾崎の持つ練習施設)に行ってから。過去の記録を見たら、すごい人でした」と振り返る。

初めてジャンボ邸に向かったのは19年のプロテスト合格後の冬だった。駐車場で車を降り、建物へと向かう道中で黒いジャージーを着て外で掃除をする尾崎を目にした。しかし「あの人はジャンボさんじゃないなって思ってしまって…。すごい人だと思っていたので、やっぱり練習場を掃除する係の人もいるんだなと思っただけでした」。その後、スタッフらと尾崎のもとへあいさつに向かうことになり「家に入ろうとしたら、『ジャンボさんはあちらです』って言われて。掃除していた人がジャンボさんでした(笑い)。予想外でした」。

そんなこんなで自己紹介を済ませると、尾崎からは「原英莉花と一緒に回ったことはあるのか?」と問われたという。これが初めての会話だった。

笹生の父正和さんは尾崎への師事を決めた当時について「自分はジャンボさんのことをよく知っているし、優花が行って自分で得られるものがあればと思った。飛距離という、共通する部分とか、いろんなことを感じられるかなと思って行かせてもらった」と語る。

笹生は幼少期にフィリピンでのハードトレーニングで鍛えた下半身を土台とした300ヤード近く飛ばすドライバーが武器。尾崎も同じく「飛ばし屋」として知られる。手取り足取り指導を受けることはあまりないが、アプローチ技術の必要性を説かれるなど、要所要所でアドバイスを受け、今も日々の練習に励んでいる。

昨年は国内で2勝をあげ、その名も一気に広まった。20歳を迎える今年はフィリピン代表として出場を狙う東京五輪、そして将来的な参戦を目指す米ツアーでの活躍にも意気込む。さらなる飛躍に期待しながら追いかけていきたい。【松尾幸之介】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

笹生優花
笹生優花